• 前口上

    『群像』2022年1月号、35〜41頁。

     

    1. 三宅理一「虚構のフレームアップ──《建築》という形式」、「磯崎新1960/1990建築展」カタログ、1991年、31頁。

    2. 鈴木博之「第15信 ブレーク」、石山修武研究室「X SEMINAR」、2012年4月13日。

    3. 石山修武「作家論・磯崎新 第2章 丹下健三と磯崎新2」

    4. 浅田彰・岡﨑乾二郎・日埜直彦「磯崎新をどのように読み継ぐか──批評・手法・歴史をめぐって」、10+1 website、2014年10月。

     

  • 第1章

    沈んだ島、牡丹の庭

    『群像』2022年1月号、41〜50頁。

     

    1. 「瓜生島」調査会編『沈んだ島──別府湾・瓜生島の謎』、「瓜生島」調査会、1977年、205〜206頁。

    2. 近年の調査報告として、三澤良文ほか「瓜生島の消失とその原因へのアプローチ」、『月刊地球』第38巻2号、2016年、111〜122頁。この調査によれば、瓜生島と呼ばれた地域があったと推定されるのは現在の5号埋立地沖合であるという。

    3. 「瓜生島」調査会編『沈んだ島』、表・裏見返し参照。

    4. 加藤知弘「別府湾の謎に迫る──瓜生島と沖の島について」、『別府史談』第18号、2004年、18頁に掲載。「原図は戦災で焼失」とある。

    5. 磯崎新『偶有性操縦法(コンティンジェンシー・マニュアル)──何が新国立競技場問題を迷走させたのか』、青土社、2016年、12頁。

    6. 磯崎新「私の履歴書(2)」、⽇本経済新聞、2009年5月2日付朝刊。

    7. 「瓜生島」調査会編『沈んだ島』、253頁。

    8. 渡辺克己『大分今昔』、大分合同新聞社、1964年、67頁。

    9. 渡辺『大分今昔』、107頁。

    10. 衛藤庵『党人郷記』、大分新聞社出版部、1933年、51頁。

    11. 衛藤『党人郷記』、51頁。

    12. 海事彙報社編『海運興国史 附錄』、海事彙報社、1927年、856〜857頁。

    13. 磯崎「私の履歴書(2)」。

    14. 石山修武「作家論・磯崎新 第1章──第31信 作家論 磯崎新7」、2012年2月20日。

    15. 磯崎新「私の履歴書(3)」、⽇本経済新聞、2009年5月3日付朝刊。

    16. 林房雄「林房雄年譜」、林房雄『大東亜戦争肯定論 林房雄著作集1』、翼書院、1968年、447頁。林房雄『緑の日本列島 林房雄評論集第1巻』、浪曼、1973年、20頁。

    17. 狭間久『大分県文化百年史』、大分合同新聞社、1969年、83頁。

    18. 狭間久「大分が選択した保存再生のシナリオ」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、22頁。

    19. 「磯崎藻二年譜」、磯崎藻二『藻二句集 牡丹』、非売品(発行:磯崎雄吉)、1951年、93頁。この年譜には4月入学とあるが、当時の東亜同文書院は三年制で8月入学、6月卒業であったから、正しくは1919年(大正8)8月入学と思われる。

    20. 「大分貨物自動車株式会社申請の通運事業のためにする一般貸切貨物自動車運送事業の指定について」、運輸省自動車局業務部監理課、昭和25年6月27日、文書番号:自監第1433号、請求番号:昭49運輸00762100、国立公文書館デジタルアーカイブ。この書類では3月卒業になっているが、正しくは1922年(大正11)6月卒業と思われる。

    21. 磯崎「私の履歴書(3)」。

    22. 林「林房雄年譜」、449頁。

    23. 磯崎「私の履歴書(3)」。

    24. 藻二は『郷土句集』刊行と同じ年の11月に創刊されたプロレタリア文学系の雑誌『九州文壇』の同人になっている。狭間『大分県文化百年史』、467頁。

    25. 「磯崎藻二年譜」。

    26. 人事興信所編『人事興信録・上』第14版、人事興信所、1943年、イ185頁。

    27. 磯崎新『瓦礫(デブリ)の未来』、青土社、2019年、117頁。

    28. 糸長蓬萊『蓬萊詩鈔』、非売品(発行:糸長蓬萊先生顕彰会)、1958年。書影および蓬萊先生肖像

    29. 磯崎『瓦礫(デブリ)の未来』、117頁。

    30. 磯崎『瓦礫(デブリ)の未来』、118頁。

    31. 『大分合同新聞』、1951年5月9日付朝刊、2面、磯崎操次訃報記事。なお、2019年4月14日に行なわれた青木淳・西沢大良によるインタヴューで磯崎は「親父には芸妓との間に娘、僕の腹違いの妹がいて、戦争中はその置屋のどこかから会社に出勤していました」と語っている。『a+u』599号(2020年8月号)、2020年、13頁。

    32. 平松剛『磯崎新の「都庁」──戦後日本最大のコンペ』、文藝春秋、2008年、75〜78頁。

    33. 磯崎「私の履歴書(3)」。

    34. 磯崎新「私の履歴書(4)」、⽇本経済新聞、2009年5月4日付朝刊。

    35. 磯崎藻二「無題」、『大分合同新聞』、1947年12月28日付朝刊、2面。

    36. 狭間『大分県文化百年史』、477頁。

    37. 磯崎藻二「宗麟忌」、『セルパン』、昭和11年8月号、1936年、75頁。

    38. 山本益樹「藻二の俳句」、『大分合同新聞』、1951年5月11日付朝刊、2面。山本は『大分合同新聞』夕刊編集部長である。

    39. 磯崎新「大友宗麟の墓」、『建築文化』、第33巻383号(1978年9月号)、1978年、158頁。

    40. 磯崎藻二「或る日記」、『俳句研究』、昭和12年9月号、1937年、74頁。

    41. 磯崎「私の履歴書(3)」。

    42. 磯崎新『ポスト・モダンの時代と建築』、鹿島出版会、1985年、111頁。

    43. 吉岡禅寺洞「序文」、磯崎藻二『藻二句集 牡丹』。

    44. 磯崎藻二『藻二句集 牡丹』、50頁。

    45. 『大分合同新聞』、1945年4月16日付朝刊、2面。 【この註の前後につき本文訂正(2021.12.1)】「一九四五年四月」→「一九四五年四月十五日」、「三十五歳前後」→「三十四歳」

    46. 磯崎藻二「牡丹」、『大分合同新聞』、1947年2月17日付朝刊、2面。

    47. 大分の空襲を記録する会編『大分の空襲』、大分の空襲を記録する会、1975年、11頁。

    48. 磯崎「私の履歴書(4)」。磯崎から同人誌を渡され、そのイラストについて「なぜ廃墟なのか」と問いかけ、磯崎にはじめてこの点を自覚させたのは作家の野間宏である。また、或るインタヴューで磯崎は、自分のイラストに似た作品を描いた画家のことを、サルバドール・ダリの作品の時計のように「妙な溶けた絵画を描く人」と呼び、マックス・エルンストやジョルジョ・デ・キリコではなく、もっとマイナーな、ジャン・アルプ風のオブジェを地上に描いている人物としている(「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2014年3月11日公開)。これらの形容から推して、その画家とはイヴ・タンギーであろう。藤森照信によるインタヴューでも磯崎は野間とのエピソードに触れ、地平線があってオブジェが散らばっているタンギーの作品に非常に関心があったこと、自身のうちでシュルレアリスムと廃墟とが繋がっていたことを回想している(磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、95頁)。

    49. 磯崎藻二「牡丹」。

    50. 山本「藻二の俳句」。

    51. おそらくは同紙に「藻二の俳句」(註38参照)を寄稿している山本益樹であろう。

    52. 「東西南北」、『大分合同新聞』、1951年5月10日付朝刊、1面。

    53. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎『建物が残った』、62頁。

    54. 磯崎「建物が残った」、64〜65頁。

    55. 狭間「大分が選択した保存再生のシナリオ」、23頁。

    56. 狭間「大分が選択した保存再生のシナリオ」、25頁。

    57. 磯崎「建物が残った」、63頁。

    58. 磯崎「建物が残った」、64頁。

    59. 磯崎『瓦礫(デブリ)の未来』、118頁。

     

     

  • 第2章

    前衛の季節

    『群像』2022年2月号、407〜418頁。

     

    1. 藤原賢吾「われら前衛の徒 大分新世紀群の軌跡(4)」、西日本新聞me、2019年11月13日13:11。

    2. 磯崎新「私の履歴書(5)」、⽇本経済新聞、2009年5月5日付朝刊。

    3. 磯崎新『建築家捜し』、岩波現代文庫、2005年、31頁。

    4. 具体的には「小林秀雄が隅田川のポンポン蒸気にのりながらランボーの原書をふところにつっ込んでいた」というくだりである。磯崎『建築家捜し』、31頁。

    5. 磯崎『建築家捜し』、31頁。

    6. ランボオ『ランボオ詩集』、小林秀雄訳、創元社、1948年、127頁。

    7. 磯崎『建築家捜し』、35頁。

    8. 磯崎新「「新世紀群」由来」、雪野恭弘・Kabu-Ippan編『ZINC WHITE──草創記の新世紀群(東京から)』、ライフエージェンシー、1985年、7〜8頁。

    9. 瀧口修造『近代藝術』、三笠書房、1943年、5頁。

    10. 瀧口『近代藝術』、6頁。

    11. 瀧口『近代藝術』、7頁。

    12. 林道郎「『近代芸術』──批評の契機としての」、『瀧口修造 夢の漂流物』展覧会カタログ、世田谷美術館/富山県立近代美術館、2005年、190頁。

    13. 瀧口の書中における引用は「犬がその主人のあとを追ひつゝ描く曲線のやうに美しく・・・・・・解剖臺でミシンと蝙蝠傘とが偶然に遭遇したやうに美しく・・・・・・」である(瀧口『近代藝術』、76頁)。それはこの書物のなかでとくに重要な引用ではない。

    14. 磯崎『建築家捜し』、32頁。

    15. 瀧口『近代藝術』、195頁。

    16. 瀧口『近代藝術』、196頁。

    17. 瀧口『近代藝術』、209頁。

    18.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2014年3月11日公開。

    19. 「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」。ここで「ナカノ(表記不明)さん」と言われているのが中野純である。

    20. 高橋健而老『回想の東大駒場寮──戦後日本を創りあげたエリートたち』、文藝春秋、1994年、75頁および138頁。

    21.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」。磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、113頁。高橋『回想の東大駒場寮』、viii頁。

    22. 大野明男『全学連血風録』、20世紀社、1967年、102頁。

    23.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」

    24.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」。なお、この紙芝居の制作にあたっては、山田のほか、磯崎と同じく建築学科を経て丹下健三研究室に所属した阿久井喜孝(軍艦島の実測調査・研究で知られる)も作画を担当したらしい。池田温『日本古代史を学ぶための漢文入門』、吉川弘文館、2006年、12頁。

    25. このエピソードを磯崎は好んで語っている。磯崎「「新世紀群」由来」、7〜8頁。磯崎新「私の履歴書(6)」、⽇本経済新聞、2009年5月6日付朝刊。「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」

    26.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」

    27. 1950年8月の『世紀ニユゥス』に附記された「世紀会則」より。桂川寛『廃墟の前衛──回想の戦後美術』、一葉社、2004年、28頁。

    28. 鳥羽耕史「関連年表」、鳥羽耕史『運動体・安部公房』、一葉社、2007年、307頁

    29. 瀬木慎一の回想より。鳥羽『運動体・安部公房』、87〜88頁。

    30. 岡本太郎「「夜の会」前後」、『文芸』13巻12号(1974年12月号)、237頁。

    31. 岡本太郎「對極主義」、夜の会編『新しい藝術の探究』、月曜書房、1949年、12頁。

    32. 岡本「對極主義」、15頁。岡本太郎「悲劇的な立場の自覚」、「東大新聞」、1948年2月5日。『綜合文化』1948年3月号の座談会「悲劇について」(岡本、花田、加藤周一らが参加)。

    33.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年4月1日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2014年3月11日公開。

    34. 磯崎新「岡本太郎の鬼子たちは」、『多面体・岡本太郎──哄笑するダイナミズム』展覧会カタログ、川崎市岡本太郎美術館、1999年、156頁。

    35. 磯崎は花田の『錯乱の論理』を読んだらしく、回想では1950年代初期における花田の影響力の大きさを語っているが、瀧口や岡本ほどの直接的な言及はない。「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」

    36.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」

    37. 磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、484頁。

    38. 磯崎『空間へ』、483頁。

    39. 磯崎『空間へ』、484頁。

    40. 磯崎『空間へ』、485頁。

    41. 磯崎『空間へ』、485頁。

    42. 藤原賢吾「われら前衛の徒 大分新世紀群の軌跡(6)」西日本新聞me、2019年11月26日13:44。「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」。磯崎新ほか「建築論壇 「新宿ホワイトハウス」を巡って──半世紀前の回顧──ネオ・ダダと磯崎新の処女作」、『新建築』、86巻4号(2011年4月号)、2011年、46頁における吉村益信の発言。なお、磯崎はこの座談会で吉村に指摘されるまで、自分が《五月》を描いたことを忘れていた、と語っている(「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」)。驚くべき記憶力の持ち主であり、語り部である磯崎が「何を忘れていたか」は今後も注目すべき点であろう。

    43. 磯崎新・安藤礼二「プラットフォーム2020──祝祭都市構想」、『atプラス』、25号、2015年、8頁。

    44. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、10頁。

    45. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、8〜9頁。

    46. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、38頁。

    47. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、18頁。

    48. 丹下健三・藤森照信『丹下健三』、新建築社、2002年、351頁参照。

  • 第3章

    (反)重力の衝撃

    『群像』2022年3月号、432〜441頁。

     

    1. 磯崎新「私の履歴書(1)」、⽇本経済新聞、2009年5月1日付朝刊。

    2. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、53頁。

    3. 丹下健三・浅田孝・大谷幸夫ほか「廣島計画 平和都市の建設」、『國際建築』17巻4号(1950年10月号)、1950年、27〜39頁。

    4. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、54頁。

    5. 磯崎新「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、磯崎新『「わ」の所在──列島に交錯する他者の視線 磯崎新建築論集5』、岩波書店、2013年、vii頁。

    6. 太田博太郎編『奈良の宿・日吉館』、講談社、1980年参照。同書末尾に掲げられた「日吉館のおばさんに感謝する会」の「協力賛同者名簿」からは、この旅館を愛した人びとの顔ぶれがうかがえる。そこには磯崎やその夫人だった宮脇愛子の名も見つかる。

    7. 『奈良の宿・日吉館』を編集した太田のほか、「おばさんに感謝する会」の「雑用係」は磯崎の友人でもあった建築史家・伊藤ていじ(鄭爾)が務めている(太田『奈良の宿・日吉館』、232頁)。

    8. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、62頁。

    9. 磯崎「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、vii頁。

    10. 太田博太郎「重源と快慶」、太田博太郎・渡辺義雄・入江泰吉『東大寺 南大門と二王 奈良の寺17』、岩波書店、1975年、9頁。

    11. 宮本長二郎「東大寺伽藍の歴史と特色」、井上博道・宮本長二郎・磯崎新『東大寺 日本名建築写真選集2』、新潮社、1992年、102頁。

    12. 太田「重源と快慶」、5頁。

    13. 磯崎「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、viii頁。

    14. 磯崎「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、ix頁。

    15. 磯崎「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、vii〜viii頁。

    16. 磯崎新「架空座談会『ゲートルを巻いた丹下健三』」、槇文彦・神谷宏治編著『丹下健三を語る──初期から1970年代までの軌跡』、鹿島出版会、2013年、218頁。

    17. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、55頁。

    18. 磯崎「架空座談会『ゲートルを巻いた丹下健三』」、218頁。

    19.「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2014年3月11日公開。

    20. ル・コルビュジエにおける「ひとつの建築」へのアナクロニックな遡行については、田中純「近代というナルシス──ル・コルビュジエの遡行的問い」、田中純『政治の美学──権力と表象』、東京大学出版会、2008年、383〜400頁参照。

    21. 磯崎新「私にとってのアクロポリス」(1984)、磯崎『ル・コルビュジエとはだれか』、王国社、2000年、66頁。

    22. Le Corbusier. New World of Space. New York: Reynal & Hitchcock, 1948, p.66.

    23. 磯崎「私にとってのアクロポリス」、67頁。

    24. 磯崎新「丹下健三の「建築=都市=国家」共同体としての日本」(原題「全身での身の任せきり」、2005)、磯崎新『散種されたモダニズム──「日本」という問題構制 磯崎新建築論集1』、岩波書店、2013年、196頁。

    25. 磯崎「丹下健三の「建築=都市=国家」共同体としての日本」、196頁。磯崎はこの光景に照応する都市景観を、アンドレアス・ファイニンガーが撮影したマンハッタンの写真に見出している。そのうちの一枚では、クイーンズのユダヤ人墓地の背景にマンハッタンの高層ビル群が写り、墓石と摩天楼がダブル・イメージになっている。磯崎新・横手義洋『日本建築思想史』、太田出版、2015年、180〜181頁、および、磯崎新「廃墟論」、磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、313頁参照。なお、この都市表象については、田中純「未来の化石──非都市の存在論」、田中純『都市表象分析I』、INAX出版、2000年、30〜31頁参照。

    26. 磯崎「丹下健三の「建築=都市=国家」共同体としての日本」、196頁。

    27. 岸和郎・原研哉監修、豊川斎赫編著『TANGE BY TANGE 1949-1959──丹下健三が見た丹下健三』、TOTO出版、2015年、32〜33頁参照。

    28. 丹下健三「廣島計画(1946-1953)──とくにその平和会館の建設過程」、『新建築』1954年1月号、12頁。

    29. 丹下健三・藤森照信『丹下健三』、新建築社、2002年、143頁。

    30. 磯崎「反回想1 散種されたモダニズム(著者解題)」、磯崎『散種されたモダニズム』、vii頁。

    31. 磯崎・横手『日本建築思想史』、180頁。

    32. 丹下・藤森『丹下健三』、145頁。

  • 第4章

    (祖)父なる建築家

    『群像』2022年4月号、370〜378頁。

     

    1. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、槇文彦・神谷宏治編著『丹下健三を語る──初期から一九七〇年代までの軌跡』、鹿島出版会、2013年、216〜256頁。
    2. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、230〜231頁。
    3. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、248頁。
    4. 長谷川堯『神殿か獄舎か』、鹿島出版会、2007年、178頁。
    5. 長谷川『神殿か獄舎か』、12〜13頁。
    6. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、225頁。
    7. 「内田祥三先生のお話」、『岸田日出刀』編集委員会編『岸田日出刀』上巻、相模書房、1972年、153頁。
    8. 岸田日出刀「監獄建築之研究(抄)(東京帝国大学卒業論文)」、『岸田日出刀』上巻、49〜50頁。
    9. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、224頁。
    10. 磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、13頁。
    11. この点に関連しては、戦時中に丹下や立原が思想的に接近した日本浪曼派との関係など、磯崎が取り上げている興味深い論点があるが、ここでは触れない。
    12. その関心の所在は当事者たちとの対談集である磯崎新編『建築の一九三〇年代──系譜と脈絡』(鹿島出版会、1978年)にうかがえよう。しかしその対談相手に師・丹下の名はない。
    13. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、224頁。
    14. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、13〜14頁。
    15. 「オットー・ワグナー」、『岸田日出刀』編集委員会編『岸田日出刀』下巻、相模書房、1972年、400頁。
    16. 田中純『建築のエロティシズム──世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命』、平凡社新書、2011年、26〜40頁。
    17. 「架空座談会:ゲートルを巻いた丹下健三」、222頁。
    18. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、14頁。
    19. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、52〜55頁。
    20. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、14頁。
    21. 伊藤ていじ「無名に徹した十年間」、「磯崎新1960/1990建築展」カタログ、1991年、88頁。
    22. 磯崎新「丹下健三「私はチームの中の一人」」、『文藝春秋』88巻4号(2010年3月号)、文藝春秋、2010年、213頁。
    23. 豊川斎赫『群像としての丹下研究室──戦後日本建築・都市史のメインストリーム』(オーム社、2012年)所収の「丹下研究室主要プロジェクト(1942-1970)へのスタッフ配置一覧表」(380〜381頁)に挙げられた40名余りのスタッフのうち、女性はグドヴィッチ夫人と冨田玲子のみである。
    24. 豊川『群像としての丹下研究室』、5頁。
    25. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、70頁。
    26. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、72頁。
    27. 豊川「丹下研究室主要プロジェクト(1942-1970)へのスタッフ配置一覧表」に拠る。
    28. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、145頁。
    29. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、148頁。
    30. 長谷川『神殿か獄舎か』、210頁。
    31. 長谷川『神殿か獄舎か』、181頁。
    32. 磯崎新「闇の空間」、磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、146〜164頁。
    33. 白井晟一やアドルフ・ロースに対する磯崎の強い関心も、彼らの建築の獄舎性と深く関わっていると言えよう。

  • 第5章

    コア・ジョイント・ラビリンス

    『群像』2022年5月号、431〜439頁。

     

    1. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、55頁。
    2. 豊川斎赫『群像としての丹下研究室──戦後日本建築・都市史のメインストリーム』、オーム社、2012年、5頁。
    3. 豊川『群像としての丹下研究室』、79頁。
    4. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、55頁。
    5. 磯崎新・横手義洋『日本建築思想史』、太田出版、2015年、135-136頁。磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、55-56頁。
    6. 磯崎・横手『日本建築思想史』、136頁。
    7. 磯崎新・沖種郎・田良島昭・神谷宏治・長島正充・茂木計一郎「コア・システム──空間の無限定性」、『新建築』、第30巻1号(1955年1月号)、1955年、51頁。
    8. 磯崎ほか「コア・システム」、52頁。
    9. 磯崎ほか「コア・システム」、53-54頁。
    10. 磯崎ほか「コア・システム」、55頁。
    11. 丹下健三「現在日本において近代建築をいかに理解するか──伝統の創造のために」、『新建築』、第30巻1号(1955年1月号)、1955年、18頁。磯崎はこれを、一九六〇年頃までの丹下の言説における「決定的発言」と呼び、「丹下さんに反対していた人たちはこの簡明な一言をついに撃破できなかったのではないですか」と評している。それは1930年代の「権力と美」に関わる政治性を背景にした言説にいまだ連続した、非マルクス主義的で新カント派的なテーゼだった。磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、23頁。
    12. 豊川『群像としての丹下研究室』、103頁。
    13. 四名の代表のひとりには選ばれている。『読売新聞』、1954年3月13日付朝刊、7面参照。
    14. 日本建築学生会議「現代建築と国民的伝統──国際建築学生会議報告書」、『建築雑誌』、第69巻813号(1954年8月号)、1954年、41-46頁。文末の署名は「日本建築学生会議・運営委員川上秀光」だが、「文責磯崎新」とある。
    15. 磯崎新・金子勇次郎・菅原淳治・野々村宗逸・橋本邦雄・林昌二「参加したわれわれの反省」、『新建築』、第30巻6号(1955年9月号)、1955年、49-51頁。磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、30頁。
    16. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、30頁。
    17. 国立国会図書館設計競技問題から五期会発足に至る時期の建築運動については、松井昭光監修・本多昭一著『近代日本建築運動史』、ドメス出版、2003年、133-144頁参照。
    18. 磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、491頁。
    19. 磯崎『空間へ』、492頁。
    20. 「松本哲夫オーラル・ヒストリー 2005年11月18日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2012年2月19日公開。
    21. 磯崎新・小野新「ワックスマン ゼミナールの感想と問題点」、『建築雑誌』、第71巻832号(1956年4月号)、1956年、19頁。
    22. 磯崎『空間へ』、488頁。
    23. 磯崎『空間へ』、488頁。
    24. 東大工学部建築学科・丹下研究室「現代建築の方法と課題──機能主義を批判すること」、『東京大学学生新聞』、1956年6月4日付、2面。
    25. 磯崎新・大谷幸夫ほか「創作方法論定着への試み」、『新建築』、第31巻6号(1956年6月号)、1956年、73-84頁。
    26. 磯崎・大谷ほか「創作方法論定着への試み」、77-80頁。
    27. 磯崎・日埜『磯崎新インタヴューズ』、35頁。
    28. 磯崎『空間へ』、489頁。
    29. 磯崎『空間へ』、490頁。
    30. 磯崎『空間へ』、489頁。
    31. 「磯崎新 関係資料──資料1 磯崎新 年譜(1931〜89)」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、2頁および18頁、注記6)。

  • 第6章

    複数のデビュー作

    『群像』2022年6月号、516〜524頁。

     

    1. 磯崎新・吉村益信・赤瀬川原平・藤森照信「建築論壇 「新宿ホワイトハウス」を巡って──半世紀前の回顧──ネオ・ダダと磯崎新の処女作」、『新建築』、第86巻4号(2011年4月号)、2011年、47頁。
    2. 赤瀬川原平『反芸術アンパン』、ちくま文庫、1994年、147頁。
    3. 赤瀬川『反芸術アンパン』、147頁、挿図参照。
    4. 磯崎ほか「「新宿ホワイトハウス」を巡って」、43頁。
    5. 磯崎ほか「「新宿ホワイトハウス」を巡って」、49頁。
    6. 磯崎新『建築家捜し』、岩波現代文庫、2005年、76頁。
    7. 東野芳明「読売アンデパンダン展から1──「増殖性連鎖反応・B」工藤哲巳」、『読売新聞』、1960年3月2日付夕刊、1面。
    8. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、51頁。
    9. 『近代建築』、第14巻6号(1960年6月号)、および、『新建築』、第35巻6号(1960年6月号)。
    10. 磯崎「建物が残った」、54頁。
    11. 磯崎「建物が残った」、51頁。磯崎は「ヴィガーノがコモ湖畔につくった」と書いているが誤りであろう。
    12. 磯崎「建物が残った」、60頁。
    13. 磯崎「建物が残った」、60頁。
    14. 大分県医師会史編集委員会編『大分県医師会史』、大分県医師会、1971年、462頁。
    15. 磯崎「建物が残った」、64頁。
    16. 磯崎新「シンボルの再生──大分県医師会館の設計にあたって」、『近代建築』、第15巻2号(1961年2月号)、1961年、45-46頁(磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、42頁)。
    17. 磯崎「シンボルの再生」、46頁(磯崎『空間へ』、44-45頁)。
    18. 磯崎「シンボルの再生」、46頁(磯崎『空間へ』、45頁)。
    19. 磯崎「シンボルの再生」、46頁(磯崎『空間へ』、45頁)。
    20. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、177頁。
    21. 磯崎「建物が残った」、66頁。
    22. 磯崎「建物が残った」、66頁。
    23. 二川幸夫編『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、1991年、17頁。
    24. 磯崎「建物が残った」、66頁。
    25. 磯崎「建物が残った」、66-67頁。
    26. 磯崎「建物が残った」、67頁。
    27. 磯崎『空間へ』、493頁。
    28. 磯崎新「1960年の刻印」、展覧会カタログ『ネオ・ダダJAPAN 1958-1998──磯崎新とホワイトハウスの面々』、大分市教育委員会、1998年、10頁。

  • 第7章

    都市の孵化と破壊

    『群像』2022年7月号、510〜524頁。

     

    1. 『建築文化』、第13巻1号(1958年1月号)、21-22頁。この論文で磯崎は、池辺の作品に言及しながら、ビュロクラシー的住宅公団や建て売り住宅会社が住宅建設を推進している現状のもとでは、建築家が本業として取り組むだけの社会的魅力が小住宅設計から失われつつある、という認識を示している。
    2. 『建築文化』、第13巻6号(1958年6月号)、68-77頁。
    3. 丹下健三・浅田孝・大谷幸夫・磯崎新(文責)「建築家よ都市像を持とう」、『建築文化』、第13巻6号(1958年6月号)、1958年、10頁。
    4. 八田利也「都市の混乱を助長し 破局の到るを待て」、『建築文化』、第14巻5号(1959年5月号)、1959年、22頁。
    5. 岡本太郎(編集長)・石川允・糸川英夫・安部公房・丹下健三・勅使原蒼風「ぼくらの都市計画」、『総合』第1巻2号、1957年、165-172頁。岡本は「いこい島」の構想を発展させ、東京に不満をもつ者たちが移り住む「アンチ東京」を千葉県の海岸沿いあたりに作るという、「オバケ都市論」を1965年に発表している。岡本太郎『岡本太郎の眼』、朝日新聞社、1966年、224–225頁。
    6. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、122頁。
    7. 丹下健三・藤森照信『丹下健三』、新建築社、2002年、344-346頁。
    8. 磯崎新『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、青土社、2019年、76頁。
    9. 磯崎『瓦礫の未来』、82頁。
    10. 安部公房『第四間氷期』、新潮文庫、1970年、330-331頁。
    11. ちなみに、丹下は1959年の9月から翌年の2月までの五カ月弱のあいだ、オランダで開催されたCIAM第11回大会出席とMITにおける授業のために海外に滞在しており、帰国後の世界デザイン会議では、MITの学生たちと仕上げた海上人工島案「25000人のためのコミュニティ計画」を発表している。
    12. 川添登編『METABOLISM/1960──都市への提案』、美術出版社、1960年、4頁。
    13. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、90-91頁。
    14. 磯崎新「現代都市における建築の概念」、『建築文化』、第15巻9号(1960年9月号)、1960年、18頁。
    15. 二川幸夫編『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、1991年、27頁。
    16. 磯崎「現代都市における建築の概念」、19頁。
    17. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、100頁。
    18. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、100-101頁。
    19. 彰国社編『日本の都市空間』、彰国社、1968年、42頁。
    20. 伊藤ていじ「無名に徹した十年間」、「磯崎新1960/1990建築展」カタログ、1991年、88頁。
    21. こうした発想は、東大の高山英華研究室と丹下研究室合同で行なわれた静岡市中心部再開発計画(1959〜1960)の作業中、磯崎が丹下に提案した構想にもとづいている。これによって、再開発のネックとなる用地買収に際し、買収できた飛び地を活用した三次元的な都市計画が可能となるのである。豊川斎赫「編者による背景説明」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、40頁。
    22. 磯崎「現代都市における建築の概念」、19頁。
    23. 磯崎新「孵化過程」、『美術手帖』、203号(1962年4月増刊号)、1962年、45頁。
    24. 磯崎「孵化過程」、46頁。
    25. 磯崎「孵化過程」、47頁。
    26. 磯崎「孵化過程」、48-49頁。
    27. 磯崎「孵化過程」、50頁。
    28. モンタージュ作成時にはどこの神殿か不明だったが、40年後に磯崎がシチリアのアグリジェントにあるヘラ神殿を訪れた際、そこが「孵化過程」に写真を用いた場所であることに気づいたという。磯崎新『反回想I』、A.D.A EDITA Tokyo、2001年、290頁。
    29. 磯崎新「現代都市における空間の性格」、『建築文化』、第17巻1号(1962年1月号)、1962年、67頁。
    30. 『空間へ』にこの論文が収められた際、「対応」は「対抗」に変えられている。磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、60頁。
    31. 磯崎「現代都市における空間の性格」、67頁。
    32. 磯崎「孵化過程」、46頁。
    33. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、166頁。
    34. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、68頁。
    35. 磯崎『空間へ』、23頁
    36. 磯崎『空間へ』、497頁。
    37. 磯崎『空間へ』、23頁。
    38. 磯崎新「破壊のなかの未来像──東京のイメージ」、『日本読書新聞』、1962年9月10日号、8面。
    39. 出展が実現したのは菊竹の取りなしによるという。磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、92頁。
    40. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、95頁。
    41. 椹木野衣「「熱」狂と「熱」力学」、展覧会カタログ『日本の夏──1960-64』、水戸芸術館現代美術センター、1997年、13頁。
    42. 『空間へ』に収める際、磯崎はこのテクストを巻頭に据え、しかもほかのページよりも大きな活字で印刷している。
    43. 磯崎新「都市破壊業KK」、『新建築』、第37巻9号(1962年9月号)、1962年、183頁。
    44. 磯崎「都市破壊業KK」、183頁。
    45. 磯崎「都市破壊業KK」、183頁。
    46. 同じ月に発表された「破壊のなかの未来像」で磯崎はより明確に、「新しい東京のイメージは、現在の東京を構成しているあらゆるイメージを徹底的に破壊していくときにはじめてかい間みることができるのだ」と断言している。われわれが内部にもつ東京のイメージを否定し続けることではじめて、東京という都市は揺らぐ──「こういう破壊があらゆる角度から東京に集中され集積されたときに東京の未来がはじめて出現するのではないかと思われる」。
    47. 磯崎「都市破壊業KK」、184頁。
    48. 磯崎「都市破壊業KK」、184頁。
    49. 磯崎『空間へ』、20頁。
    50. 磯崎「建物が残った」、72頁。

  • 第8章

    虚体の形而上学

    『群像』2022年8月号、393〜403頁。

     

    1. 松井茂『虚像培養芸術論──アートとテレビジョンの想像力』、フィルムアート社、2021年、117-122頁。磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、494-495頁。磯崎新『建築家捜し』、岩波現代文庫、2005年、77-80頁。
    2. 磯崎新「年代記的ノート 1954-1964」、「磯崎新 作品と方法」、『建築』、54号(1965年2月号)、1965年、69頁。
    3. 計画時には「県立大分中央図書館」と称されているが、竣工後の名称は「大分県立大分図書館」であるため、こちらを用いる。
    4. 磯崎新「現代都市における空間の性格」、『建築文化』、第17巻1号(1962年1月号)、1962年、67頁。
    5. 磯崎新「プロセス・プランニング論──成長する建築/県立大分中央図書館をめぐって」、『建築文化』、第18巻3号(1963年3月号)、1963年、38頁。磯崎『空間へ』、78頁では「渦中に立った決断をせまらせる」となっている。
    6. 磯崎「プロセス・プランニング論」、39-44頁。
    7. 磯崎『空間へ』、509頁。
    8. 磯崎「プロセス・プランニング論」、41-45頁。
    9. 磯崎新「媒体の発見──続:プロセス・プランニング論」、『建築文化』、第20巻1号(1965年1月号)、1965年、155頁。
    10. 「大分県立大分図書館 磯崎新 推せん理由」、『建築雑誌』、第82巻985号、493頁。
    11. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、168頁。
    12. たとえば、磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、85頁。
    13. 磯崎「建物が残った」、83頁。
    14. 磯崎『建物が残った』、219頁。
    15. 磯崎『建物が残った』、220頁。
    16. この「転生」の経緯については磯崎『建物が残った』参照。なお、「転生」とは磯崎の言葉である。
    17. 磯崎『建物が残った』、218頁。
    18. 「大分県立大分図書館 磯崎新 推せん理由」、493頁。
    19. 磯崎新『反回想I』、A.D.A. EDITA Tokyo、2001年、57頁。ただし、ここではこの体験の場所がサン・マルコ寺院であったことは明示されていない。その点は次の文献における記述で明らかになる。磯崎新「闇に浮かぶ黄金──サン・ヴィターレ聖堂」、磯崎新『神の似姿【ルビ:テオモルフィスム】』、鹿島出版会、2001年、70-71頁(初出は、磯崎新・篠山紀信『建築行脚4 きらめく東方 サン・ヴィターレ聖堂』、六耀社、1988年)。
    20. 磯崎「闇に浮かぶ黄金」、69-71頁。
    21. 磯崎新「闇の空間」、『建築文化』、第19巻5号(1964年5月号)、1964年、61-68頁。
    22. 磯崎「闇の空間」、66頁。
    23. 磯崎「闇の空間」、68頁。
    24. 磯崎新「虚像と記号のまち ニューヨーク──超高層化が生んだ怪奇な都市」、『建築文化』、第19巻1号(1964年1月号)、1964年、117-136頁。
    25. 磯崎新「世界のまち」、磯崎『空間へ』、206-207頁(初出は『読売新聞』、1964年10〜12月、夕刊)。より詳しくは、磯崎新「見えない都市に挑む」、『展望』、1967年11月号、1967年、49-55頁。
    26. 磯崎新「座標と薄明と幻覚」、『Space Modulator』、20号(1965年8月号)、1965年、16-17頁。
    27. 磯崎『空間へ』、98-131頁。
    28. 磯崎新「幻覚の形而上学──N邸における方法」、『建築文化』、第20巻3号(1965年3月号)、1965年、121頁。
    29. 磯崎新「岡本太郎の鬼子たちは」、『多面体・岡本太郎──哄笑するダイナミズム』展覧会カタログ、川崎市岡本太郎美術館、1999年、156頁。
    30. 向かい合った北側の棟が高く、南側の棟が低い建物の非対称的な対に、のちの磯崎はバロック建築で多用された、中央部が欠けたブロークン・ペディメントを連想している。二川幸夫編『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、1991年、50頁。
    31. 磯崎「媒体の発見」、158頁。
    32. 「磯崎新 作品と方法2」、『建築』、80号(1967年4月号)、1967年、117頁。
    33. 「磯崎新 作品と方法2」、折込頁(「彩色された光の分布」)。色彩計画に際して、磯崎は来日した画家サム・フランシスに助言を求めたという(磯崎新「年代記的ノート 1965-1966」、『建築』、80号、96頁)。
    34. 『日本の都市空間』では「間【ルビ:ま】」がimaginary spaceと訳されている(彰国社編『日本の都市空間』、彰国社、1968年、42頁)。
    35. 宮川淳「反芸術──その日常性への下降」、『宮川淳著作集II』新装版、美術出版社、1999年、94頁(初出は『美術手帖』、1964年4月号)。
    36. 磯崎「年代記的ノート 1954-1964」、73頁。
    37. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、95頁。
    38. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、74頁。

  • 第9章

    ミラノ/大阪、見えない廃墟

    『群像』2022年9月号、549〜561頁。

     

    1. 磯崎新「年代記的ノート 1954-1964」、「磯崎新 作品と方法」、『建築』、54号(1965年2月号)、1965年、73頁。
    2. 丹下健三・藤森照信『丹下健三』、新建築社、2002年、381頁。
    3. 磯崎新「年代記的ノート 1965-1966」、『建築』、80号(1967年4月号)、1967年、100頁。
    4. 磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、100頁。磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、510頁(表現が若干変えられている)。
    5. 磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、85頁。
    6. 磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、94頁。
    7. 磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、95頁。磯崎『空間へ』、502頁。
    8. 磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、93頁。磯崎『空間へ』、501頁。
    9. 磯崎は大分県立図書館でも蛍光塗料の利用を構想したらしいが、経費がかかり過ぎるために断念したという。松井茂は、この図書館のブルーの部分について、磯崎がサム・フランシスから彼の作品のブルーのように塗り替えるために授かった「秘伝」と称しているのは蛍光塗料のことであった、と推測している(松井茂『虚像培養芸術論──アートとテレビジョンの想像力』、フィルムアート社、2021年、143頁)。
    10. エンバイラメントの会「〈空間から環境へ〉展 趣旨」、『美術手帖』、1966年11月号増刊、1966年、118頁。
    11. 磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、96頁。磯崎『空間へ』、504頁。
    12. 磯崎新・東野芳明「対談:〈環境〉について──美術・建築・都市・虚」、『美術手帖』、1966年11月号増刊、1966年、105頁。
    13. 磯崎新「虚像と記号のまち ニューヨーク──超高層化が生んだ怪奇な都市」、『建築文化』、第19巻1号(1964年1月号)、1964年、132-133頁。
    14. 東野芳明「色彩の発見──福岡相互銀行大分支店を見て」、東野芳明『虚像の時代──東野芳明美術批評選』、松井茂・伊村靖子編、河出書房新社、2013年、203頁。
    15. 磯崎新「福岡相互銀行大分支店のための広告用下書き」、『SD』、40号(1968年3月号)、1968年、66頁。磯崎『空間へ』、350頁。
    16. 「磯崎新 作品と方法2」、『建築』、80号(1967年4月号)、1967年、折込125-127頁。磯崎『空間へ』、348頁(表現が若干変えられている)。
    17. 「磯崎新 作品と方法2」、120頁。磯崎「年代記的ノート 1965-1966」、98頁。磯崎『空間へ』、506頁。
    18. それを図解したのが『SD』1968年3月号の折り込み記事とされた「CAMPOPOP」図法によるピンク色のドローイングである。CAMPOPOPはCAMP, POP, OPの合成語であり、「スーパーグラフィックス」という呼称を作った建築評論家C・レイ・スミスの考案に拠る。磯崎によれば、この図法は「多焦点化していく空間の連続した記憶の系を、内部をはしる通路上の眺めにして組み合わせたもの」である(『SD』、40号、76頁)。
    19. 磯崎新・藤森照信「戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代」、磯崎新『磯崎新の思考力』、王国社、2005年、113-114頁。
    20. 『お祭り広場を中心とした外部空間における、水、音、光などを利用した綜合的演出機構の研究(修景調査報告書)』、日本科学技術振興財団・日本万国博イヴェント調査委員会、1967年、4頁。
    21. 『綜合的演出機構の研究』、11頁。
    22. コンピュータによって制御されるシステムのプログラムを設計することになるのは丹下研究室の後輩・月尾嘉男である。
    23. 『綜合的演出機構の研究』、194頁。
    24. 磯崎新「資料1.日本万国博覧会」、『建築雑誌』、第82巻4号(1967年4月号、980号)、1967年、256頁。
    25. 磯崎新『建築の解体』、美術出版社、1975年、146頁。
    26. 磯崎新「梱包された環境」、『建築文化』、第23巻3号(1968年3月号)、1968年、56頁。磯崎『空間へ』、436頁。
    27. 磯崎新「見えない都市に挑む」、『展望』、1967年11月号、1967年、62頁。磯崎『空間へ』、404頁。この論文は『空間へ』に収められるにあたり、「見えない都市」と改題されている。
    28. デ・カルロから磯崎に宛てた1967年9月18日付けの手紙より。Paola Nicolin. Castelli di carte. La XIV Triennale di Milano, 1968. Macerata: Quodlibet, 2011, p.163.
    29. デ・カルロから磯崎に宛てた1967年11月10日付けの手紙より。Nicolin 2011, 163.
    30. ただし、東松は自分が撮影した原爆関係の写真を杉浦が手ひどくトリミングしたことを理由に、途中でこのプロジェクトからは離脱している。「東松照明オーラル・ヒストリー 2011年8月7日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2013年1月12日公開。 なお、磯崎は展示に用いられた広島や長崎の写真を東松が見つけて提供したと語っているが(2002年の「イコノクラッシュ」展に際した、ハンス・ウルリッヒ・オブリストによる磯崎のインタヴュー参照)、東松によればそのような事実はない。Hans Ulrich Obrist. “Milano Triennale 68: A Case Study and Beyond. Arata Isozaki's Electronic Labyrinths, a »ma« of Images?” Bruno Latour and Peter Weibel (eds.). Iconoclash. Beyond the Image Wars in Science, Religion, and Art. Karlsruhe: ZKM and Cambridge, Mass. / London: The MIT Press, 2002, p.372.
    31. これは1945年10月に林重男が中国新聞社新館屋上から撮影したパノラマ写真である。
    32. ニューヨーク近代美術館所蔵のオリジナルでは、もとになるパノラマ写真のうえに切り抜かれた写真が貼付され、さらにインクおよびグワッシュで柱や骨組みが描き加えられている。
    33. Quattordicesima Triennale di Milano. Esposizione internazionale delle arti decorative e industriali moderne e dell'architettura moderna. Catalogue. Milano, 1968, p.40.
    34. 2002年の「イコノクラッシュ」展に際した、ステファノ・ボエリによるデ・カルロのインタヴューより。Obrist 2002, pp.362-364.
    35. 磯崎新「ソフト・アーキテクチュア──応答場としての環境」、『建築文化』、第25巻1号(1970年1月号)、1970年、69頁。磯崎『空間へ』、442頁。磯崎は論拠としてブルーノ・ゼヴィの報告を挙げている。
    36. 抗議活動に参加した彫刻家アルナルド・ポモドーロの指摘を参照。Nicolin 2011, pp.30-31.
    37. Nicolin 2011, p.169. 「危機のプロジェクト(progetto di crisi)」は建築史家マンフレド・タフーリに由来する概念である。
    38. 2002年の「イコノクラッシュ」展に際した、ハンス・ウルリッヒ・オプリストによる磯崎のインタヴューより。Obrist 2002, p.372.
    39. 磯崎「ソフト・アーキテクチュア」、87頁。磯崎『空間へ』、447頁。
    40. 磯崎「ソフト・アーキテクチュア」、70頁。磯崎『空間へ』、444頁。
    41. 平野暁臣編『岡本太郎と太陽の塔』増補新版、小学館、2018年、162頁。
    42. 磯崎新「アイコンがうまれた!」、平野『岡本太郎と太陽の塔』、2-3頁。
    43. 磯崎新「わたしは失望する」、『朝日ジャーナル』、1967年10月22日号、1967年、108頁。
    44. 磯崎『空間へ』、512頁。
    45. 磯崎『空間へ』、511頁。
    46. Nicolin 2011, 166.
    47. 磯崎・藤森「戦後モダニズム建築の軌跡」、94頁。
    48. 丹下・藤森『丹下健三』、387頁。
    49. 磯崎「ソフト・アーキテクチュア」、70頁。
    50. 1975年刊行の『建築の解体』では「ヒロシマの焦土のうえに廃墟と化した未来都市」となり、「(?)」が消されている。磯崎『建築の解体』、143頁。
    51. 多木浩二「磯崎新論──虚像の行方」、『デザイン批評』、1969年1月号、1969年、168頁。
    52. 磯崎「ソフト・アーキテクチュア」、67-93頁。
    53. 磯崎新『反回想I』、A.D.A EDITA Tokyo、2001年、206頁。
    54. 村松貞次郎「EXPO’70の歴史的意義」、『新建築』、第45巻5号(1970年5月号)、1970年、290頁。
    55. 村松「EXPO’70の歴史的意義」、292頁。
    56. 磯崎新「観念内部のユートピアが都市の 地域の ターミナルのそして 大学におけるコンミューンの構築と同義語たりうるだろうか」、『都市住宅』、1969年1月号、1969年、35頁。磯崎『空間へ』、453頁。
    57. 磯崎「観念内部のユートピアが・・・」、35頁。磯崎『空間へ』、453頁。

  • 第10章

    エロス的/ゲリラ的マニエリスムへ向けて

    『群像』2022年10月号、494〜504頁。

     

    1. 磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、505頁。
    2. 磯崎『空間へ』、506頁。
    3. 磯崎新「ランドスケイプ化したモニュメント」、『建築』、80号(1967年4月号)、1967年、98頁。
    4. 磯崎新「冥府閻魔庁気付 マリリン・モンロー様」、『建築』、80号、119頁。
    5. 磯崎「冥府閻魔庁気付 マリリン・モンロー様」、119頁。
    6. 磯崎『空間へ』、506頁。
    7. 磯崎『空間へ』、317頁。
    8. 磯崎『空間へ』、317頁
    9. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、156頁。
    10. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、156頁。
    11. 磯崎新『建築家捜し』、岩波現代文庫、2005年、37頁。
    12. 磯崎新・原広司「変わりつつある建築の思想と建築家」、『デザイン批評』、5号、1968年、125頁。
    13. 磯崎新『建築の解体』、美術出版社、1975年、406頁。
    14. 磯崎新「ハンス・ホライン──観念の触手に捕獲された環境」、『美術手帖』、1969年12月号、1969年、100頁。
    15. 磯崎「ハンス・ホライン」、103頁。
    16. 磯崎「ハンス・ホライン」、103頁。
    17. 磯崎「ハンス・ホライン」、103頁。
    18. 磯崎「ハンス・ホライン」、119頁。
    19. 磯崎『建築の解体』、44頁。
    20. 磯崎新「きみの母を犯し、父を刺せ」、『都市住宅』、1969年10月号、1969年、11頁。
    21. 磯崎「きみの母を犯し、父を刺せ」、12頁。
    22. すべての応募作品は『都市住宅』1970年5月号に掲載されている(11〜30頁、35〜54頁、59〜66頁)。展示会場を訪れた来場者からは、「60〜70%が胎内回帰のイメージ」という感想があったという(「特集/都市住宅展01 日録」、『都市住宅』、1970年5月号、9頁)。コア・スタッフによる講評でも全体に共通する要素として胎児のイメージが挙げられている(大谷幸夫・林昌二・磯崎新・原広司・植田実「Criticism──コア・スタッフによる合評とフリー・トーキング」、同、69頁)。
    23. 磯崎新・土居義岳『対論 建築と時間』、岩波書店、2001年、viii頁および263頁。
    24. 磯崎新「自戒の弁──福岡相互銀行大名支店のこと」、『建築文化』、第24巻10号(1969年10月号)、1969年、92頁。
    25. 磯崎「自戒の弁」、92頁。
    26. 磯崎新「福岡相互銀行 本店」、『a+u』、第2巻1号(1972年1月号)、1972年、47頁。
    27. 磯崎新「反建築論ノート その2」、『建築文化』、第27巻6号(1972年6月号)、1972年、67-68頁。磯崎はそれを「《素材の性格を自然に表出する》という近代デザインが確立し、保持してきた倫理的軌範に違犯して、物体の扼殺を企てた場所」としての「犯行現場」と呼んでいる(67頁)。
    28. 磯崎『空間へ』、413頁。
    29. 磯崎『空間へ』、415頁。
    30. 磯崎『空間へ』、416頁。
    31. 磯崎『空間へ』、420頁。

  • 第11章

    青空・手法(マニエラ)・不在(アブセンス)

    『群像』2022年11月号、521〜533頁。

     

    1. 磯崎新『空間へ』、美術出版社、1971年、514頁。
    2. 磯崎新『空間へ』、河出文庫、2017年、549頁。
    3. 磯崎新「鹿島出版会版へのまえがき」、磯崎『空間へ』文庫版、550頁。この新版に際しては書名に「根源へと遡行する思考」という副題が付け加えられている。文庫版にはこの副題はない。
    4. 磯崎新「文庫版あとがき」、磯崎『空間へ』文庫版、559頁。
    5. 磯崎「文庫版あとがき」、559頁。
    6. 磯崎「鹿島出版会版へのまえがき」、549-550頁。
    7. 内藤廣『著書解題──内藤廣対談集2』、INAX出版、2010年、36頁。
    8. 内藤『著書解題』、16頁。
    9. 磯崎新「反建築的ノート その1」、『建築文化』、306号(1972年4月号)、1972年、74頁。
    10. 磯崎新・青木淳・西沢大良「インタヴュー1」、『a+u』、599号(2020年8月号)、2020年、37頁。
    11. 磯崎新「選択・転写・断片化・地」、『建築文化』、299号(1971年9月号)、1971年、72頁。
    12. SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、134頁。
    13. 磯崎新アトリエ「概念として描き出された7つの手法」、『a+u』、第2巻1号(1972年1月号)、1972年、21頁。
    14. 磯崎「反建築的ノート その1」、73-74頁。
    15. 磯崎新「何故《手法(マニエラ)》なのか」、『a+u』、第2巻1号(1972年1月号)、1972年、15頁。磯崎新『手法が』、美術出版社、1979年、12頁(「なぜ手法なのか」と改題)。
    16. 磯崎「何故《手法(マニエラ)》なのか」、17頁。磯崎『手法が』、14頁。
    17. 磯崎「何故《手法(マニエラ)》なのか」、18頁。磯崎『手法が』、16頁。
    18. 磯崎「何故《手法(マニエラ)》なのか」、18頁。磯崎『手法が』、17-18頁。
    19. 磯崎「何故《手法(マニエラ)》なのか」、18頁。磯崎『手法が』、18頁。
    20. 磯崎「何故《手法(マニエラ)》なのか」、18頁。磯崎『手法が』、18頁。
    21. 磯崎新「《手法》について」、『新建築』、第47巻4号(1972年4月号)、1972年、192頁。磯崎『手法が』、35頁(「手法について」と改題)。
    22. 磯崎「《手法》について」、193頁。磯崎『手法が』、37頁。
    23. 磯崎新「政治的言語とマニエラ──〈意味〉を拒否する意味または異化による〈違犯〉の構造または自己消去法としてのマニエラ」、『SD』、93号(1972年6月号)、115頁。磯崎『手法が』、48頁。
    24. 磯崎新『建築の一九三〇年代──系譜と脈絡』、鹿島出版会、1978年、273頁。
    25. 磯崎「政治的言語とマニエラ」、118頁。磯崎『手法が』、54頁。
    26. Samuel Beckett. “Textes pour rien.” Chapitre III. Samuel Beckett. Nouvelles et textes pour rien. 1955. Paris: Minuit, 2014. 英語版:Samuel Beckett. “Texts for Nothing.” Samuel Beckett. Stories and Texts for Nothing. New York: Grove Press, 1967, 85.
    27. ミシェル・フーコー『作者とは何か?』、清水徹・豊崎光一訳、哲学書房、1990年、19頁。
    28. 磯崎新アトリエ「概念として描き出された7つの手法」。
    29. 磯崎新アトリエ「POST UNIVERSITY PACK」、『建築文化』、310号(1972年8月号)、1972年、137-160頁。
    30. 磯崎新「模型的思考」、『建築文化』、310号(1972年8月号)、1972年、88-95頁。磯崎『手法が』、82-90頁。
    31. 磯崎新「〈円筒〉および〈半円筒〉にかかわる個人的な記録」、『新建築』、第50巻4号(1975年4月号)、166頁。磯崎『手法が』、242頁。
    32. 磯崎新アトリエ「POST UNIVERSITY PACK」、160頁。
    33. 丹下健三・磯崎新「世界現代建築の行方」、『新建築』、第45巻1号(1970年1月号)、153頁。なお、丹下は1983年の篠原一男との対談(三宅理一がオブザーバーとして参加)でも「情報化社会を意識し始めた」1960年頃から「いままでさらっとしていた空間が、大変ねばっこくて、ノリのような感じに見えてきた」と語っている──「いままでは空間というのは物を引き裂くものだと思っていたら、空間というのはノリのようにひっつけるものだという実感が強くなってきましてね」(丹下健三・篠原一男「ポストモダニズムに出口はあるか──20世紀世紀末へ向けて時代は動く(状況への直言)」、『新建築』、第58巻9号〔1983年9月号〕、144頁)。
    34. 磯崎新・柄谷行人・伊東豊雄・浅田彰「情報・空間・建築」、磯崎新・浅田彰監修『Anyplace』、NTT出版、1996年、310頁。
    35. 磯崎新「〈建築の解体〉症候群──(上) 建築の解体・8」、『美術手帖』、370号(1973年8月号)、1973年、160-161頁。磯崎新『建築の解体』、美術出版社、1975年、305頁。
    36. 磯崎「〈建築の解体〉症候群──(上)」、161頁。磯崎『建築の解体』、306-307頁。
    37. 磯崎新「〈建築の解体〉症候群──(下) 建築の解体・10」、『美術手帖』、373号(1973年11月号)、1973年、199頁。磯崎『建築の解体』、400頁。
    38. 磯崎『建築の解体』、402頁。
    39. 磯崎『建築の解体』、404頁。
    40. 磯崎『建築の解体』、405頁。

  • 第12章

    プラトン立体の機械的作動

    『群像』2022年12月号、507〜521頁。

     

    1. 磯崎新「反建築的ノート そのI」、『建築文化』、306号(1972年4月号)、1972年、71頁。磯崎新『建築の修辞』、美術出版社、1979年、10頁。
    2. 磯崎新「反建築的ノート そのX」、建築文化』、348号(1975年10月号)、1975年、43頁。磯崎『建築の修辞』、168頁。
    3. 磯崎「反建築的ノート そのI」、71-72頁。磯崎『建築の修辞』、11-15頁。
    4. 宮川淳「“永遠の可能性”から不可能性の可能性へ──ヴァレリアンであるあなたに」(初出は『美術手帖』1964年6月号)、宮川淳『宮川淳著作集 II』、美術出版社、1980年、102頁。
    5. 宮川淳「絵画とその影」(初出は『眼』6号〔1965年11月、おぎくぼ画廊〕)、宮川『宮川淳著作集 II』、139頁。
    6. 宮川淳「不可能性の美学」(初出は『中央大学新聞』1966年1月11日号)、宮川『宮川淳著作集 II』、175頁。
    7. 磯崎新「反建築的ノート そのII」、『建築文化』、308号(1972年6月号)、1972年、65頁。磯崎『建築の修辞』、31頁。
    8. 磯崎「反建築的ノート そのII」、66頁。磯崎『建築の修辞』、35頁。
    9. 磯崎新「反建築的ノート そのVII」、『建築文化』、339号(1975年1月号)、1975年、80頁。磯崎『建築の修辞』、127頁。
    10 井上は画家の斎藤義重を通じて磯崎を知り、⼟⽅定⼀および河北倫明と相談の結果、群⾺の森に美術館のほか博物館、⽂学館を建てることを計画したという。博物館と⽂学館は⼤⾼正⼈と槇文彦に設計を依頼することになっていたらしい。磯崎新「私の履歴書(20)」、⽇本経済新聞、2009年5月21日付朝刊。
    11. 磯崎新「反建築的ノート そのIII」、建築文化』、314号(1972年11月号)、1972年、77頁。磯崎『建築の修辞』、54頁。
    12. 磯崎「反建築的ノート そのIII」、80頁。磯崎『建築の修辞』、57頁。
    13. 磯崎「反建築的ノート そのIII」、80頁。磯崎『建築の修辞』、58頁。
    14. 磯崎「反建築的ノート そのVII」、78頁。磯崎『建築の修辞』、120頁。
    15. 磯崎「反建築的ノート そのIII」、80頁。磯崎『建築の修辞』、57頁。
    16. 磯崎「反建築的ノート そのIII」、80頁。磯崎『建築の修辞』、63頁。
    17. 磯崎「反建築的ノート そのIII」、86頁。磯崎『建築の修辞』、66頁。
    18. 磯崎新「反建築的ノート そのXIII」、『建築文化』、383号(1978年9月号)、1978年、45頁。磯崎『建築の修辞』、232頁。
    19. 磯崎新『手法が』、美術出版社、1979年、221頁。
    20. 市川浩『現代芸術の地平』、岩波書店、1985年、146頁。
    21. 二川幸夫編『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、1991年、137頁。
    22. 二川『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、166頁。
    23. 磯崎新「反建築的ノート そのIV」、『建築文化』、335号(1974年9月号)、1974年、75-76頁。磯崎『建築の修辞』、73頁。「グロリエッテ」はヨーロッパ庭園内の高台に位置する東屋の総称だが、シェーンブルン宮殿のそれは最大規模でとくに名高い。これはオーストリアが戦った七年戦争後の和平を記念する「名声の殿堂【ルビ:ルーメステンペル】」として建てられた。磯崎はこの建物を「栄光の宮殿」と呼んでいる。
    24. 「反建築的ノート そのIX」はそのような事例の図版中心に構成されている。磯崎新「反建築的ノート そのIX」、『建築文化』、345号(1975年7月号)、1974年、49-52頁。磯崎『建築の修辞』、147-158頁。
    25. 磯崎新・高階秀爾「見えない都市を見る」(初出は『現代思想』1975年10月号)、磯崎新『建築および建築外的思考』、鹿島出版会、1976年、277頁。
    26. 磯崎「反建築的ノート そのIV」、77頁。磯崎『建築の修辞』、76頁。
    27. 磯崎新「私の履歴書(2)」、⽇本経済新聞、「私の履歴書」、2009年5月2日付朝刊。
    28. 磯崎「反建築的ノート そのIV」、84頁。磯崎『建築の修辞』、82頁。
    29. 磯崎「反建築的ノート そのIV」、84頁。磯崎『建築の修辞』、83頁。
    30. 磯崎「反建築的ノート そのIV」、79頁。磯崎『建築の修辞』、80-81頁。
    31. 磯崎新「反建築的ノート そのV」、『建築文化』、336号(1974年10月号)、1974年、75頁。磯崎『建築の修辞』、85頁。
    32. 磯崎『手法が』、235頁。
    33. 磯崎「反建築的ノート そのX」、42頁。磯崎『建築の修辞』、163頁。
    34. 磯崎「反建築的ノート そのX」、42頁。磯崎『建築の修辞』、163頁。
    35. 磯崎「反建築的ノート そのX」、42頁。磯崎『建築の修辞』、164頁。
    36. 磯崎「反建築的ノート そのX」、43頁。磯崎『建築の修辞』、167頁。
    37. 磯崎「反建築的ノート そのX」、43頁。磯崎『建築の修辞』、169頁。
    38. 磯崎『手法が』、284-285頁。
    39. 宮川淳「〈手法論〉の余白に」、『Même』、1975年春季号、1975年、6頁。
    40. ロラン・バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』、篠田浩一郎訳、みすず書房、1975年、4頁。
    41. 磯崎「反建築的ノート そのXIII」、35-48頁。磯崎『建築の修辞』、204-243頁。
    42. 磯崎「反建築的ノート そのXIII」、43頁。磯崎『建築の修辞』、226頁。
    43. バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』、8頁。
    44. 磯崎新「墓石──宮川淳のために」、『エピステーメー』、1978年11月号、1978年、281頁。磯崎新『建築の地層』、彰国社、1979年、412頁。
    45. 『宮川淳著作集I』「解題・校異」、宮川淳『宮川淳著作集I』、美術出版社、1980年、618頁。再構成原稿のひとつは『エピステーメー』1978年11月号に発表されている。
    46. 磯崎「墓石──宮川淳のために」、281頁。磯崎『建築の地層』、412頁。なお、磯崎はこの墓石案とゲーテの「理性のモニュメント」との類似について語っている(磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、170-171頁)。これはヴァイマルのイルム公園内、ゲーテの別荘近くにある「幸運の石(Stein des guten Glücks)」、別名「幸運の女神の祭壇(Altar der Agathé Tyché)」のことであろう。この記念像は立方体の石のうえに球体の石が載ったものであり、磯崎による墓石案と完全に一致した形態ではない。
    47. 宮川淳「人物スケッチ」(初出は『日本読書新聞』1973年10月15日号)、宮川『宮川淳著作集II』、702頁。
    48. 磯崎『手法が』、236頁。
    註の追加(520頁下段「ときに磯崎とともに訪れることもあった」): 宮川は最晩年に友人の吉田喜重が撮影したルドゥ設計「ショーの製塩工場(アル=ケ=スナンの王立製塩所)」のラッシュ・フィルムを眼にしている。吉田喜重・小林康夫・西澤栄美子『宮川淳とともに』、水声社、2021年、53頁。

  • 第13章

    〈建築〉と間(ま)の修辞法

    『群像』2023年1月号、459〜473頁。

     

    1. 磯崎新「反建築的ノート そのVIII」、『建築文化』、341号(1975年3月号)、1975年、59頁。磯崎新『建築の修辞』、美術出版社、1979年、136-137頁。なお、同様の二層構造はSクリニック(1978)にも見られ、そこではピアノ・ノービレにあたる三階に丸柱が用いられている。
    2. 磯崎「反建築的ノート そのVIII」、62頁。磯崎『建築の修辞』、144頁。こうした着想には宮川淳およびジル・ドゥルーズのキャロル論からの影響がうかがえる。
    3. 市川浩『現代芸術の地平』、岩波書店、1985年、146頁。
    4. 磯崎新「反建築的ノート そのXIII」、『建築文化』、383号(1978年9月号)、1978年、47頁。磯崎『建築の修辞』、238頁。
    5. 磯崎「反建築的ノート そのXIII」、47頁。磯崎『建築の修辞』、238頁。
    6. 磯崎新『手法が』、美術出版社、1979年、292頁。
    7. 磯崎『手法が』、291頁。
    8. 磯崎新「反建築的ノート そのXII」、『建築文化』、373号(1977年11月号)、1977年、32頁。磯崎『建築の修辞』、188頁。
    9. 磯崎「反建築的ノート そのXII」、32頁。磯崎『建築の修辞』、191頁。この「表面」にはキャロルを論じた宮川のエッセイ「表面について」への連想が働いているかもしれぬ。
    10. 磯崎『手法が』、294頁。
    11. 二川幸夫編『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、1991年、204頁。
    12. 二川『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、205頁。
    13. 磯崎新「反建築的ノート そのXI」、『建築文化』、366号(1977年4月号)、1977年、55頁。磯崎『建築の修辞』、173頁。
    14. 二川『GAアーキテクト6〈磯崎新 1959-1978〉』、205頁。
    15. 磯崎「反建築的ノート そのXI」、55頁。
    16. 磯崎『手法が』、301頁。
    17. 磯崎『手法が』、70頁。
    18. 磯崎『手法が』、74頁。
    19. 磯崎『手法が』、77頁。
    20. 磯崎『手法が』、77頁。
    21. 磯崎『手法が』、301頁。
    22. 磯崎『手法が』、302頁。
    23. 磯崎『手法が』、179頁。
    24. 磯崎新「建築家が版画をつくること」、『The Prints of Arata Isozaki, 1977-1983』、現代版画センター、1983年、ページ番号なし。
    25. 磯崎「反建築的ノート そのXIII」、34
    26. Hans Hollein. “Position and Move. The Architect as a Work of Art, or Mr. Isozaki Marries the Fresh Widow.” SD編集部編『現代の建築家 磯崎新』、鹿島出版会、1977年、6頁。同書には石井和紘による邦訳(「位置と動き──芸術〈作品〉として見た建築家またはイソザキの〈なりたての未亡人(フレッシュ・ウィドゥ)〉との結婚」)が併載されているが、ここでは英語原文からの拙訳を用いる。
    27. Hollein, Position and Move、6頁。
    28. 「磯崎新 関係資料──資料1 磯崎新 年譜(1931〜89)」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、7頁および25頁、注記70。
    29. 磯崎新『イメージゲーム──異文化との遭遇』、鹿島出版会、1990年、172頁。
    30. Isozaki Arata. “Isozaki.” MAN transFORMS: An International Exhibition on Aspects of Design. New York: Cooper-Hewitt Museum, 1976, 67.
    31. Isozaki 1976, 58-67. このテクストの日本語原文と思われるものは『建築文化』、1977年3月号所収の磯崎新「日本の何が売れるか」中に全文掲載されている(磯崎『イメージゲーム』、165-167頁)。そこでは英文カタログにはない「ハシの語彙集」というタイトルがこのテクストに与えられている。しかし、これがあくまで英文カタログのために書かれた点を踏まえ、本論におけるその要約は、日本語テクストを参考にしつつ、カタログ中の英文にもとづくこととする。
    32. Isozaki 1976, 59.
    33. 磯崎『イメージゲーム』、160頁。
    34. 磯崎『イメージゲーム』、94-171頁。
    35. パリ展のカタログ(仏・英語併記):MA, espace-temps du Japon. Paris, musée des Arts décoratifs, Festival d’automne à Paris, oct. 11-déc. 11, 1978. Paris: Festival d’automne à Paris, 1978. このカタログのPDFはパリ・フェスティバル・ドートンヌのサイトで公開されている。https://www.festival-automne.com/uploads/Publish/evenement/448/FAP_1978_AP_01_JP_PRGS.pdf 巡回展用カタログ:MA, Space-Time in Japan. New York: Cooper-Hewitt Museum, 1979. 巡回展用カタログの内容は次に掲載されている。「日本の時空間 “間”展カタログより」、『建築文化』、422号(1981年12月号)、1981年、117-164頁。
    36. Isozaki Arata. “La notion d’espace-temps du Japon.” MA, espace-temps du Japon, n.p. 磯崎新「日本の時空間」、「日本の時空間 “間”展カタログより」、120-121頁。
    37. レヴィ・ストロースはカタログに寄稿している(「ひかえめな神々」、「日本の時空間 “間”展カタログより」、162-163頁)。バルトは展評を書いている(「愛と苦悩の間で──アラタ・イソザキの形而上学的方法」、八束はじめ訳、『インテリア』、238号、1979年)。デリダは1984年の日仏文化サミットで「間(ま)」を見た折りの強い印象に言及し、「「間(ま)」の価値、そこを訪れる者のための時間的インターバルの価値」とハイデガーが「住まい」という言葉で表わしているものとの類似について語っている(朝日新聞社編『文化の将来──日仏文化サミット』、朝日新聞社、1984年、230頁)。
    38. 磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、202頁。
    39. 一例として、2000年の「間──20年後の帰還」展カタログに寄せたテクスト「〈間(MA)〉の帰還、20年後」で磯崎は、「間(MA)は日本人の生活、文化、そのままである。誰もが瞬間ごとに感知している」〔太字強調・引用者〕と書いている(磯崎新「〈間(MA)〉の帰還、20年後」、展覧会カタログ『「間──20年後の帰還」展』、東京藝術大学大学美術館、2000年、ページ番号なし)。
    40. 磯崎新「ちょっとばかりジャパネスク」、『建築文化』、422号(1981年12月号)、1981年、115頁。ちなみに、松岡は或る磯崎論のなかで日本近代建築史に関わる磯崎の論考「デザインの刻印」を取り上げ、磯崎が過去百年に日本で建造された建築作品から抽出している代表的な七つの修辞的手法──転写、暗示、迷宮など──が、日本語の「うつし/もどき」「かたり」「すさび」などに対応することを示したうえで、「磯崎コンセプトがかなり適切に日本的様式にかかわる特質を抽出している」と指摘している(松岡正剛「奏者(プレイヤー)から指揮者(コンダクター)へ──磯崎新をめぐって」、『The Prints of Arata Isozaki, 1977-1983』、ページ番号なし)。しかしこれは逆に、「うつし/もどき」「かたり」「すさび」といった松岡の言う「ジャパネスク・コンセプト」が「転写」をはじめとする記号論の用語で説明できることの証明でしかなかろう。
    41. 磯崎は「〈間(MA)〉の帰還、20年後」で、そのままのかたちで帰国展を行なっても「屋上に屋を架すこと、トートロジーにしかなるまいと考えた」と述べている。
    42. 磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、3頁。
    43. 磯崎新『建築の地層』、彰国社、1979年、447頁。
    44. 磯崎「ちょっとばかりジャパネスク」、115頁。
    45. 磯崎「ちょっとばかりジャパネスク」、115頁。
    46. Isozaki Arata. “Space-Time in Japan: MA.” MA, Space-Time in Japan, 14-17. 磯崎「日本の時空間」、121頁。
    47. このドローイングはのちの1982年にリトグラフにされ、《展望台》と題されている。『The Prints of Arata Isozaki, 1977-1983』、ページ番号なし、作品番号37。

     

    本文修正箇所:466頁上段「ロバート・ヴェンチューリ」→「ロバート・スターン」

  • 第14章

    つくば、「つくりもの」のヘテロトピア

    『群像』2023年2月号、480〜502頁。

     

    1. 藤江秀一「つくばセンタービルの構成と機能」、磯崎新アトリエ編著『磯崎新のディテール──つくばセンタービルの詳細』、彰国社、1986年、22頁。

    2. 「磯崎新インタビュー──筑波の地は私にも“鬼門” 変換期の仕事として挑戦」(聞き手:蜂谷真佐夫)、『日経アーキテクチュア』、78号(1979年3月19日号)、1979年、18頁。

    3. 藤江「つくばセンタービルの構成と機能」、22-23頁。

    4. 藤江「つくばセンタービルの構成と機能」、23頁。原文では「バルメザン」だが、これは明らかに「パルメザン」の誤りと思われるので修正して引用する。

    5. 磯崎新「自註」、『SD』、1984年1月号、1984年、97頁。磯崎新編著『建築のパフォーマンス──〈つくばセンタービル〉論争』、PARCO出版、1986年、263頁(タイトルには「不在者としての王の位置」という副題があらたに付け加えられている)。

    6. 1979年4月20日の深夜、カンピドリオ広場の正面に位置してローマ市庁舎となっているセナトーレ宮近くで、ネオ・ファシストによるテロとされる大規模な爆発があり、周辺の建造物に加え、騎馬像の台座も損傷した。その後の調査により、馬の脚に生じた亀裂のほか、深刻な腐蝕が発見されたために、騎馬像はローマ中央修復研究所で修復を施されることになった。オリジナルの騎馬像は現在、カピトリーノ美術館内にカルロ・アイモニーノの設計で新設された「マルクス・アウレリウスのエクセドラ〔半円形のホール〕」に展示されている。なお、オリジナルの像表面にはかつて全体を覆っていた黄金が一部残っているが、広場に立つ複製では再現されていない。

    7. 「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年8月17日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2017年10月1日公開。

    8. 伊東孝「野外劇場」、磯崎新アトリエ『磯崎新のディテール』、96頁。

    9. 渡辺誠「ホール南面」、磯崎新アトリエ『磯崎新のディテール』、34頁。

    10. 藤江「つくばセンタービルの構成と機能」、24頁。

    11. 磯崎新アトリエ「つくばセンタービル」、『建築文化』、445号(1983年11月号)、1983年、82頁。

    12. 磯崎新「都市、国家、そして〈様式〉を問う」、『新建築』、1983年11月号、1983年、142頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、36頁。

    13. Anthony Vidler. Claude-Nicolas Ledoux: Architecture and Utopia in the Era of the French Revolution. Second and expanded edition. Basel: Birkhäuser, 2021, 72.

    14. 磯崎新アトリエ「作品 〈つくばセンタービル〉」、二川幸夫編『GA DOCUMENT 8』、A.D.A. EDITA Tokyo、1983年、47頁。

    15. 「30つくばセンタービルあり方検討業務報告書──つくばのみらいが見えるセンター地区へ」、つくば市、2019年3月、22頁(「設計者:磯崎新氏へのヒアリング」)。

    16. 大江宏・藤森照信「キッチュの海とデザインの方法──新しい規範の所在は」、『建築文化』、445号(1983年11月号)、1983年、132頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、95頁。

    17. 磯崎新・藤森照信『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』、六耀社、2017年、269頁。

    18. 磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、104頁。

    19. 磯崎・藤森『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』、80頁。

    20. 峯村敏明「吟遊詩人は方位ゼロの極点に向かった」、展覧会カタログ『長沢英俊「天使の影」』(水戸芸術館現代美術センター 展覧会資料16号)、水戸芸術館現代美術センター、1994年、85頁。

    21. 峯村「吟遊詩人は方位ゼロの極点に向かった」、85頁。

    22. 磯崎・藤森『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』、221頁。

    23. 磯崎「都市、国家、そして〈様式〉を問う」、145頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、57頁。なお、ブロンズと金を素材とする《樹》を磯崎が選ぶにあたっては、この「にわ」の逆転したモデルであるカンピドリオ広場中央に立つマルクス・アウレリウスのブロンズ製騎馬像が、かつては全面黄金で覆われ、現在もその一部を残していることが影響したかもしれぬ。もしそうだとすればここには──素材の共通性を踏まえたうえで──人物像の実在/不在(消滅)の対比とともに、権力者としての男性/性的暴力の被害者である女性という対立関係もまた反映されていることになろう。

    24. 磯崎・藤森『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』、220頁。鈴木博之も後年の1991年になってから、この月桂樹に磯崎の「精神の基調」を認めている。鈴木博之「磯崎新──喪失の風景」、『建築文化』、540号(1991年10月号)、1991年、95-96頁。

    25. この点は日埜直彦が指摘している。磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、249-250頁。

    26. 磯崎新「磯崎新からの応答1」、『建築文化』、445号(1983年11月号)、1983年、124頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、81頁。

    27. 磯崎新・植田実「対談 この次できる建物は」、『建築文化』、422号(1981年12月号)、1981年、170頁。

    28. 磯崎新「筑波研究学園都市センタービル制作日録より」、『人と国土』、5巻1号(1979年5月号)、1979年、41頁。

    29. 磯崎「筑波研究学園都市センタービル制作日録より」、41頁。

    30. ただし、ウィトゲンシュタインの住宅(ストンボロウ邸)の平面図は正確には写真に対応していない。

    31. 作品名はそれぞれ次の通り──《内部風景Ⅰ ストンボロウ邸──ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン》、《内部風景Ⅱ カトルマル精神病院──アントナン・アルトー》、《内部風景Ⅲ 増幅性の空間──アラタ・イソザキ》。

    32. 磯崎新「“内部風景シリーズ”について」、『PRINT COMMUNICATION 版画センターニュース』、49号(1979年8月号)、現代版画センター、1979年、2頁。

    33. 磯崎新『いま、見えない都市』、大和書房、1985年、113頁。

    34. 以下、このテクストからの引用は磯崎「都市、国家、そして〈様式〉を問う」、137-143頁(磯崎『建築のパフォーマンス』、22-36頁)に拠り、個別の出典註は略す。

    35. このような国家権力との関係には、クラウス・テーヴェライトがファシズムやナチズムに接近した詩人・作家や芸術家たちについて指摘した「抽象急進主義(アブストラクト・ラジカリズム)」に通じるものが認められる。なるほど、磯崎は国家権力に対して逆らう──その貌を描くまいとする──身振りを演じているのだが、実際にはそのラジカリズム自体が、現実の国家権力ではなく、それをめぐる幻想との結びつきにもとづいているのである。この点はテーヴェライトが、ゲルハルト・リヒターとその連作《1977年10月18日》に描かれたドイツ赤軍の死者たちとの関係のうちに見出している、リヒターの抽象急進主義にも通底している。次を参照。田中純『政治の美学──権力と表象』、東京大学出版会、2018年、90-97頁、および、田中純『「かげ(シャイン)」の芸術家──ゲルハルト・リヒターの生政治的アート』、ワコウ・ワークス・オブ・アート、2022年、69-79頁。

    36. 磯崎新『ポスト・モダン原論』、朝日出版社、1985年、17頁。                                   

    37. 磯崎『ポスト・モダン原論』、10頁。

    38. 藤江「つくばセンタービルの構成と機能」、24頁。

    39. 渡辺誠「あとがき」、磯崎新アトリエ『磯崎新のディテール』、115頁。

    40. 磯崎新「ディスジャンクティヴのディテール」、磯崎新アトリエ『磯崎新のディテール』、7頁。この展覧会は東京で1983年10月に開かれた「槇・磯崎アーキテクチュラル・フィールド・レポート」展とそれがニューヨークに巡回した1985年5〜6月の「新しい公共建築──槇文彦と磯崎新の近作(New Public Architecture: Recent Projects by Fumihiko Maki and Arata Isozaki)」展である。次を参照。「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年8月17日」。

    41. 磯崎「自註」、97-99頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、264-265頁。

    42. 磯崎「自註」、98頁に掲載されている英訳にもとづき、「空洞【ルビ:ヴォイド】」を補う。

    43. 磯崎「自註」、99頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、265頁。

    44. 磯崎『ポスト・モダン原論』、28-30頁。

    45. 磯崎新・浅田彰「対話 アイロニーの終焉」、『現代思想』、13巻9号(1985年8月号)、1985年、174頁。

    46. 鈴木博之「主題のない物語──つくばセンタービル」、『SD』、1984年1月号、1984年、103頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、261-262頁。

    47. 磯崎・浅田「対話 アイロニーの終焉」、176頁。および、浅田彰「浅田彰のブックインタビュー」、『広告批評』、1985年7・8月号、1985年、102-105頁。後者で浅田はつくばセンタービルに代表される様式を「空虚な場による包摂というアルカイックな回収(再属領化)機能と資本主義的な差異化メカニズムとのアイロニカルな接合」と呼び、「磯崎新自身、自らのアイロニカルな屈折を誰よりもはっきりと意識している」と書いている。

    48. 鈴木「主題のない物語」、103頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、262頁。

    49. 磯崎・浅田「対話 アイロニーの終焉」、176頁。

    50. 「ポスト・モダンの巨大な神殿 つくばセンタービル」、朝日新聞、1983年8月11日付夕刊、3面。記者名は「M」(松葉一清)である。

    51. この「無(ナシング)という主題」との関わりにおいて、建築における磯崎の社会的身振りはロックにおけるデヴィッド・ボウイのそれに接近する。それらはいずれも、建築をめぐる建築というメタ建築、ロックに関するロックというメタ・ロックといった自己言及的な──それゆえに引用を駆使した折衷的な──形式を取り、そこにはモダニズム建築や1960年代ロックといったそれぞれの領域の「革命」に遅れてしまった「ポスト革命期」の意識が反映している。磯崎やボウイにおけるスタイルの絶えざる変化もこの点に由来する。

    52. 磯崎『建築のパフォーマンス』、270-272頁。

    53. 磯崎『建築のパフォーマンス』、215-216頁。

    54. 鈴木博之・三浦雅士「建築における“道化”」の役割──文化的ニヒリズムの行方」、『建築文化』、445号(1983年11月号)、1983年、148頁。磯崎『建築のパフォーマンス』、153頁。

    55. Isozaki Arata. “Architecture With or Without Irony.” New Public Architecture: Recent Projects by Fumihiko Maki and Arata Isozaki. Exhibition Catalogue. Ed. Alexandra Munroe. New York: Japan Society, 1985, 46-47. 日本語ヴァージョンは、磯崎新「イメージゲーム」、『建築文化』、468号(1985年10月号)、1985年、37頁(磯崎新『イメージゲーム──異文化との遭遇』、鹿島出版会、1990年、276-277頁)。「アイロニーなしの建築」をめぐっては次も参照。磯崎・浅田「対話 アイロニーの終焉」、177頁、および、磯崎新・宮内康「建築と国家──〈戦後文化の神話と脱神話〉4」、『季刊 へるめす』、3号、1985年、112〜115頁。なお、この時期以前の磯崎の発言に「アイロニー」の概念はさほど頻繁に登場してはいない。一例として、『建築の解体』の索引によれば、同書で「アイロニー」が登場するのは六箇所のみであり、そのうち磯崎自身に関係するのはただ一箇所に過ぎない。

    56. 長沢の彫刻を通じて最終段階でフォーラムに導き入れられたダフネのイメージが、ここで指摘したような連想関係によって、「地下迷路への下降」という暗喩(メタファー)を補完するものであった可能性を想定するのは、磯崎が語っている「大地というか暗い部分に降て行く気持ち」への関心のうちに、抽象急進主義とも関わる一種の「オルフェウス・コンプレックス」が感知されるからである。オルフェウス・コンプレックスについては次を参照。田中『「かげ(シャイン)」の芸術家』、76-79頁。

    57. 磯崎新「世界観模型としての庭──「うみ」のメタフォア」、磯崎『見立ての手法』、106-121頁。

    58. ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』、渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、1974年、16頁。

    59. 「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年8月17日」

    60. ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』、佐藤嘉幸訳、水声社、2013年、34-35頁。同書ではcontre-espacesが「場所」と訳されているが、原語に即して「空間」とする。

    61. フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』、42頁。

    62. 磯崎『建築のパフォーマンス』、187-188頁。

    63. カンピドリオの丘や広場がローマにおいて担った象徴的な地位については次を参照。長尾重武『ミケランジェロのローマ』、丸善、1988年、48-62頁。

    64. カンピドリオ広場という「世界の中心」の中心をなすべきマルクス・アウレリウスの騎馬像は、つくばセンタービルの竣工時には修復のために「不在」であった。だが、この点に関する磯崎の言及は見当たらない。ミケランジェロの台座上にはのちに、黄金を欠いた不完全な複製という代用の「つくりもの」が置かれることになる。

    65. こうした撮影が可能になったのは、カンピドリオ広場に騎馬像が不在だったからこそである。このシーンでは、登場人物のひとりドメニコが終末を迎えつつある世界を救済しようと騎馬像に上って演説を行ない、最後にはガソリンを被って焼身自殺を遂げ、その炎がマルクス・アウレリウスの像にも燃え移る。『ノスタルジア』が最初に上映されたのは一九八三年五月のカンヌ国際映画祭であるから、磯崎が遠く離れたつくばの地でローマ皇帝の像に「水」のエフェメラルな戯れを対置するフォーラムを完成させたのとほぼ同時期に、タルコフスキーはその像それ自体が「火」に包まれるイメージを発表していたのである。

    66. 鈴木「主題のない物語」、103頁。

    67. ミシェル・ビュトール『心変わり』、清水徹訳、岩波文庫、2005年、447頁。

     

    【加筆】

    496頁下段「・・・当然の帰結だったのではないか。」のあとに次の段落を加筆する。

     

     磯崎がここで名指そうとしている性格を表わすためには、「ディスジャンクション」や「分裂症的折衷主義」といった言葉はあまりにも平板である。この点で、ちょうどつくばセンタービル設計・施工時にあたる一九八〇年に行なわれた磯崎・大江健三郎・原広司による鼎談における大江の発言が注目に値する。大江はそこで、建築家が有する「文体」をめぐり、磯崎による建築の場合には、統一的なイメージとしての文体に逆行・矛盾するような異質な要素が導入されていると指摘し、自分が実際に体験した、そのような「非連続性」で貫かれた家、「家全体の諸要素がたがいに反撥して、バラバラに自分を引き裂くようにして存在している」メキシコの或る家屋について語っている(註) 。そのスペイン式家屋内にはコンクリートで日本建築が造られ、障子や畳があるほか、「大きい、底の深い棺桶みたいな」風呂がコンクリートのうえに直接置かれており、大江はそのなかにしゃがみ込んでみたという。いかにも場違いなこの巨大な棺桶じみた風呂のイメージは、つくばの窪地(フォーラム)が帯びている異様さを伝えるメタファーにふさわしい。

     

    註:大江健三郎・磯崎新・原広司「鼎談 言葉と空間のブリコラージュ」、『建築文化』、406号(1980年8月号)、1980年、42頁。それは砂漠の盆地に位置するマリナルコという町の斜面の一画に建つ、中庭をもつ昔のスペイン風の家だった。そこにはドイツから亡命したフィリピン問題の研究家で、フィリピンとの関係から日本文学を研究し始めている男が住んでおり、この男がメキシコ人を指導して、家の真ん中を占める長方形のコンクリートの部分に日本建築を作っていたという──「障子もあって畳も置いてあって風呂もあるのですが、その風呂というのは、大きい、底の深い棺桶みたいなものがコンクリートにじかに置いてあって、白い障子紙に「御湯」と書いてある(笑い)。そう書いてなければ誰もお風呂と思わないようなものなんです。その日本間はコンクリートの建物に対して異質で、その水の入っていないお風呂にひとりでしゃがんでみると、砂漠の中のメキシコの町に住んでいるドイツ人の孤独がひしひしと伝わってきた(笑い)。そしてぼくは小説としてのそういうもの、絶対的に異質なものを含み込んだ世界をつくりたいと思ったものです」。なお、大江の『同時代ゲーム』(1979)にはこのドイツ人をモデルにしたと思われるアルフレート・ミュンツァーという人物が登場し、マリナルコの町に「鉄筋コンクリートの箱にすぎぬが、内装は日本建築を模倣した異様な建物」を建てたという描写がある(大江健三郎『同時代ゲーム』、新潮文庫、1984年、11頁)。この点については菊間晴子さんのご教示に感謝する。

  • 第15章

    設計競技(ポトラッチ)の政治的/肉体的ダイナミクス

    『群像』2023年3月号、532〜548頁。

     

    1. Colin Amery. “The Pritzker Architecture Prize, 1979 to the Present: The Winners.” Martha Thorne (ed.). The Pritzker Architecture Prize: The First Twenty Years. New York: Harry N. Abrams, 1999, 40.

    2. ドレクスラーは近代美術館でジョンソン直属の部下だった。そのほか、事務局にはジョンソンの大学時代のルームメイトがいるなど、ジョンソンに対して審査委員会が中立とは言えないものだったという見方もある(マーク・ラムスター『評伝フィリップ・ジョンソン──20世紀建築の黒幕』、松井健太訳、左右社、2020年、445頁)。なお、磯崎もこの時点ですでにジョンソンとは親交があった。

    3. 磯崎新「イメージ・ゲーム」、『建築文化』、468号(1985年10月号)、1985年、34頁(磯崎新『イメージゲーム──異文化との遭遇』、鹿島出版会、1990年、264頁)。ただし、雑誌掲載時には「なだめられて」ではなく、「賞揚されて」とある。

    4. この作品の設計プロセスに関する記述はおもに次にもとづく。松葉一清「〈見えない都市〉が見えてきた──ロサンゼルス現代美術館 アラタ・イソザキ設計顚末記」、『新建築』、1983年6月号、1983年、132-144頁。菊池誠「MOCA プレビュー──磯崎新 ロサンジェルス現代美術館」、『建築文化』、445号(1983年11月号)、1983年、151-154頁。

    5. Paul Goldberger. “Architecture View; Can Art And Architecture Coexist Without Conflict?”. The New York Times. May 9, 1982, Sunday, Late City Final Edition, 29.

    6. これを不服としたパレフスキーは百万ドルの寄附金を半額に減額することを申し立て、美術館側と法的に争っている。

    7. 「磯崎新 関係資料──資料1 磯崎新 年譜(1931〜89)」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、30頁、注記128。

    8. 磯崎新「建築家が版画をつくること」、『The Prints of Arata Isozaki, 1977-1983』、現代版画センター、1983年、ページ番号なし。

    9. 磯崎新『磯崎新の建築30[模型、版画、ドローイング]』、六耀社、1992年、163頁。この種の説明を磯崎は最終実施案以降に繰り返している。

    10. 磯崎新・植田実「対談 この次できる建物は」、『建築文化』、422号(1981年12月号)、1981年、170頁。

    11. 松葉「〈見えない都市〉が見えてきた」、139頁。

    12. 磯崎新「海外のプロジェクトとコンペ審査の経験から」、『公共建築』、1986年6月号、1986年、12頁。

    13. 磯崎新「MOCA(ロサンゼルス現代美術館) 建築の政治学2」、『へるめす』、創刊二周年記念別巻、1987年、口絵。

    14. 以下の論述は次にもとづく。磯崎新「なぜ日本勢は振わなかったのか──パリ・ホンコン国際コンペ」、『建築文化』、440号(1983年6月号)、1983年、29-43頁(磯崎『イメージゲーム』、210-230頁)。

    15. ヘルムート・ラッヘンマン+磯崎新+浅田彰+長木誠司「ルイジ・ノーノと《プロメテオ》」、『インターコミュニケーション』、27号、1999年、130頁。

    16. 磯崎「なぜ日本勢は振わなかったのか」、40頁(磯崎『イメージゲーム』、228頁)。

    17. 磯崎「なぜ日本勢は振わなかったのか」、43頁(磯崎『イメージゲーム』、229頁)。

    18. この名称は秘密結社めいた神秘的な印象を与えるためのものであるとともに、アイゼンマンのイニシャルPEの含意もあったという。『だれも知らない建築の話』におけるアイゼンマンの発言参照。

    19. The Charlottesville Tapes. New York: Rizzoli, 1985.

    20. The Charlottesville Tapes, 62.

    21. The Charlottesville Tapes, 63.

    22. 石山『だれも知らない建築の話』。

    23. ラムスター『評伝フィリップ・ジョンソン』、418頁。

    24. 磯崎「イメージ・ゲーム」、34頁(磯崎『イメージ・ゲーム』、264頁)。

    25. The Charlottesville Tapes, 19.

    26. The Charlottesville Tapes, 26.

    27. The Charlottesville Tapes, 72-73.

    28. 磯崎新「私の履歴書(23)」、⽇本経済新聞、2009年5月24日付朝刊。

    29. The Charlottesville Tapes, 119.

    30. The Charlottesville Tapes, 127.

    31. 磯崎新「私の履歴書(23)」。

    32. The Charlottesville Tapes, 199; 202.

    33. The Charlottesville Tapes, 222.

    34. The Charlottesville Tapes, 6.

    35. 「東京都新都庁舎指名設計競技 要項」、『PROCESS : Architecture』、特別号4「東京都新都庁舎・指名設計競技応募案作品集」、1986年、8-13頁。

    36. 平松剛『磯崎新の「都庁」──戦後日本最大のコンペ』、文藝春秋、2008年、25頁。

    37. 「審査講評」、『PROCESS : Architecture』、特別号4、1986年、16頁。

    38. 平松『磯崎新の「都庁」』、26-27頁。

    39. 以下、磯崎案については次を参照。「磯崎新アトリエ 応募案」、『PROCESS : Architecture』、特別号4、1986年、105-140頁。

    40. 「磯崎新アトリエ 応募案」、126頁、「025 超越的スケール」。

    41. 「磯崎新アトリエ 応募案」、131頁、「039 来迎」。

    42. 「磯崎新アトリエ 応募案」、128頁、「030 方舟」。

    43. 平松『磯崎新の「都庁」』、156頁。

    44. 磯崎新「超高層ではシティホールはなりたたない」、『建築文化』、476号(1986年6月号)、1986年、70-71頁。

    45. なお、この新都庁舎計画案で磯崎はコンピュータ・グラフィックスをはじめて導入している。その制作はARCヤマギワ社(現在のインフォマティクス社)による。マシュー・アレン「磯崎新と見えない技術者」、印牧岳彦訳、『現代思想』、2020年3月臨時増刊号、2020年、265頁、註4。

    46. 磯崎「超高層ではシティホールはなりたたない」、71頁。

    47. 磯崎新「新都庁舎コンペをめぐって 下」、『毎日新聞』、1986年5月21日付夕刊、4面(磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、274頁)。

    48. 磯崎「新都庁舎コンペをめぐって 下」(磯崎『見立ての手法』、275頁)。

    49. 田中純『政治の美学──権力と表象』、東京大学出版会、2008年、416-426頁。

    50. 磯崎新・安藤礼二「プラットフォーム2020──祝祭都市構想」、『atプラス』、25号、2015年、18頁。

    51. 渡辺真里「パラディアム」、『建築文化』、468号(1985年10月号)、1985年、48頁。

    52. 磯崎新『ポスト・モダン原論』、朝日出版社、1985年、57頁。

    53. 磯崎『ポスト・モダン原論』、56頁。

    54. Isozaki Arata. “Architecture With or Without Irony.” New Public Architecture: Recent Projects by Fumihiko Maki and Arata Isozaki. Exhibition Catalogue. Ed. Alexandra Munroe. New York: Japan Society, 1985, 47. 日本語ヴァージョンは、磯崎「イメージゲーム」、37頁(磯崎『イメージゲーム』、277頁)。

    55. 磯崎新「新都庁舎コンペをめぐって 上」、『毎日新聞』、1986年5月20日付夕刊、4面(磯崎『見立ての手法』、271頁)。

    56. 磯崎「新都庁舎コンペをめぐって 下」(磯崎『見立ての手法』、275頁)。

    57. 磯崎新『挽歌集──建築があった時代へ』、白水社、2014年、150頁。

    58. 安部公房『方舟さくら丸』、新潮文庫、1990年、442頁。

    59. 村上春樹『アンダーグラウンド』、講談社文庫、1999年、774頁。

  • 第16章

    構造の力線

    『群像』2023年4月号、482〜496頁。

     

    1. 磯崎新『《建築》という形式I』、新建築社、1991年、128頁。

    2. 佐川一信・磯崎新・二川幸夫「鼎談:世界の中の日本──建築を巡る状況[3] 個性的な公共建築を実現させるために」、『GA JAPAN 08』、1994年、16-17頁。

    3. 木村俊彦「水戸芸術館」、『木村俊彦 日本現代建築家シリーズ17』、『新建築』、1996年6月号別冊、1996年、98頁。

    4. 木村「水戸芸術館」、98頁。

    5. 水戸芸術館の建築的ディテールについては次が詳しい。五十嵐太郎「第一章 水戸芸術館を歩いて見る」、磯崎新監修『水戸芸術館』、財団法人水戸市芸術振興財団、1999年、8-38頁。

    6. 磯崎新「水戸芸術館の設計」、水戸芸術館編・石元泰博撮影『Art Tower Mito 水戸芸術館』、財団法人水戸市芸術振興財団、1991年、ページ番号なし。

    7. 磯崎『《建築》という形式I』、150頁。

    8. 木村によれば、このかたちはノグチがフラーと旅行した際、退屈しのぎに紙を六枚に折って三角形に細かく畳み、それをしごいたときにできたものだという。木村は生前のノグチに会った折り、この形態で100フィート(約30.5メートル)のモニュメントを作ろうとしているのだが構造設計が難航している、という話をしたノグチに対して、磯崎が100メートルの高さのエレヴェーターをもつタワーを建てようとしていることを伝えている。ノグチは驚き、「それはイソザキが僕のアイデアを盗んだみたい」と語ったという。木村「水戸芸術館」、94頁;98頁。他方で磯崎は、この塔の模型を見たノグチが「あなた、これはリダンダンシーないでしょ」と指摘したという逸話を伝えている。リダンダンシーをめぐるこの問題の解決のために磯崎は、最終段階で塔に三本の方杖(バットレス)を付けている。磯崎新・佐々木睦朗「現代建築の構造的系譜と展開──「モダンストラクチャーの原型」を振り返って」、『GA JAPAN 57』、2002年、81頁。

    9. SD編集部編『磯崎新 4 1985-1991 PART 2 《現代の建築家》』、鹿島出版会、1993年、104頁。

    10. 磯崎新「アルカイックな深層──香椎浜集合住宅、Sプロジェクト、JR上野駅」、SD編集部編『磯崎新 4』、103頁。初出は『SD』、1991年11月号。

    11. 磯崎「アルカイックな深層」、103頁。

    12. 磯崎新「リダンダンシィの所在を探すこと」、『木村俊彦』、221頁。

    13. 磯崎新・日埜直彦『磯崎新インタヴューズ』、LIXIL出版、2014年、103頁。ほかに磯崎が言及しているのはピーター・ライスとセシル・バルモンドである。

    14. 磯崎「リダンダンシィの所在を探すこと」、221頁。

    15. 鈴木博之「磯崎新──喪失の風景」、『建築文化』、540号(1991年10月号)、1991年、95頁。

    16. 鈴木「磯崎新」、96頁。

    17. 五十嵐「第一章 水戸芸術館を歩いて見る」、19頁。

    18. 川口衞『構造と感性──構造デザインの原理と手法』、鹿島出版会、2015年、108頁。

    19. 以下の説明は次に拠る。川口『構造と感性』、104-108頁。

    20. 川口『構造と感性』、120頁。

    21. 磯崎新「守護聖人の宮殿──《建築》という形式11」、『新建築』、1990年11月号、1990年、233頁。磯崎『《建築》という形式I』、247頁。

    22. 川口『構造と感性』、102-103頁。

    23. 稲川直樹「実施案とその実現」、『新建築』、1990年11月号、1990年、260頁。

    24. 磯崎「守護聖人の宮殿」、234頁。磯崎『《建築》という形式I』、251頁。

    25. 磯崎「守護聖人の宮殿」、229頁。磯崎『《建築》という形式I』、238頁。

    26. 竣工式後に三日間一般公開された際には、当時のバルセロナの人口180万人のうち、約30万人がここを訪れたという。稲川「実施案とその実現」、261頁。

    27. 磯崎「守護聖人の宮殿」、232頁。磯崎『《建築》という形式I』、246頁。

    28. 磯崎「守護聖人の宮殿」、229頁。磯崎『《建築》という形式I』、239頁。

    29. 磯崎「守護聖人の宮殿」、230頁。磯崎『《建築》という形式I』、241頁。

    30. 磯崎「守護聖人の宮殿」、234頁。磯崎『《建築》という形式I』、251頁。

    31. 磯崎「守護聖人の宮殿」、234頁。磯崎『《建築》という形式I』、251頁。

    32. 磯崎「守護聖人の宮殿」、226頁。磯崎『《建築》という形式I』、231頁。

    33. 磯崎「守護聖人の宮殿」、228頁。磯崎『《建築》という形式I』、237頁。

    34. 磯崎「守護聖人の宮殿」、234頁。磯崎『《建築》という形式I』、251頁。

    35. 磯崎「守護聖人の宮殿」、233頁。磯崎『《建築》という形式I』、248頁。この建築家はオリンピック委員会の施設担当建築家ルイス・ミレットである。磯崎新『バルセロナ・ドローイング──バルセロナ・オリンピック建築素描集』、岩波書店、1990年、38頁。

    36. 磯崎新「黒木について」、SD編集部編『磯崎新 3 1985-1991 PART 1 《現代の建築家》』、鹿島出版会、1993年、73頁。

    37. 磯崎新ほか「現代建築シンポジウム:「歴史的環境の中で何を作り得るか」セッション3」、『奈良、そしてトリエンナーレ奈良1992』、『新建築』、1993年8月号別冊、1993年、127頁。

    38. 宇野亨「「なら100年会館」の設計」、『新建築』、1999年2月号、1999年、108頁。

    39. 磯崎新『造物主議論』、鹿島出版会、1996年、87頁。

    40. 磯崎新『磯崎新の仕事術──建築家の発想チャンネル』、王国社、1996年、167頁。

    41. 磯崎『磯崎新の仕事術』、170頁

    42. 磯崎『磯崎新の仕事術』、171頁。

    43. 磯崎新「反回想5 「わ」の所在(著者解題)」、磯崎新『「わ」の所在──列島に交錯する他者の視線 磯崎新建築論集5』、岩波書店、2013年、ix頁。

  • 第17章

    ひもろぎ/コーラ、仮面的形式(テンタティヴ・フォーム)の場

    『群像』2023年5月号、574〜588頁。章タイトルが雑誌では「ひもろぎ/コーラ、仮面的形式(テンタティヴ・フォーム)」となっているが、これを「ひもろぎ/コーラ、仮面的形式(テンタティヴ・フォーム)の場」と改める。

     

    1. 磯崎新『《建築》という形式I』、新建築社、1991年、57頁。

    2. 鈴木博之「磯崎新──喪失の風景」、『建築文化』、540号(1991年10月号)、1991年、97頁。

    3. 磯崎新・藤塚光政『ティーム・ディズニー・ビルディング』、TOTO出版、1993年、ページ番号なし。

    4. 鈴木「磯崎新」、97頁。

    5. 磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、112-115頁。

    6. 隈研吾「復讐のファンタジア」、磯崎・藤塚『ティーム・ディズニー・ビルディング』、ページ番号なし。

    7. 磯崎新・多木浩二『世紀末の思想と建築』、岩波書店、2011年、227頁。

    8. 磯崎・藤塚『ティーム・ディズニー・ビルディング』、ページ番号なし。

    9. 磯崎・藤塚『ティーム・ディズニー・ビルディング』、ページ番号なし。

    10. この類似に触れるのは、拷問の挙げ句に主人公が幻想のなかへと完全に自閉してしまう結末がディズニー・ワールドへの連想を生むからである。なお、磯崎はこの映画の別のシーンについて、ポンピドー・センターのパロディではないか、と指摘している。磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、152頁。

    11. 磯崎『《建築》という形式I』、53頁。

    12. 磯崎『《建築》という形式I』、54頁。

    13. 磯崎『《建築》という形式I』、54頁。

    14. 磯崎『《建築》という形式I』、164頁。

    15. 磯崎『《建築》という形式I』、141頁。

    16. 磯崎新『始源のもどき──ジャパネスキゼーション』、鹿島出版会、1996年、12頁。

    17. 磯崎『《建築》という形式I』、271頁。

    18. SD編集部編『磯崎新 4 1985-1991 PART 2 《現代の建築家》』、鹿島出版会、1993年、31頁。

    19. 「福岡国際建築家会議’89 現代都市と建築[都市居住]」、『SD』、1990年1月号、1990年、81頁。

    20. 石山友美監督『だれも知らない建築のはなし』における磯崎の発言より。

    21. 磯崎新「くまもとアートポリス──「手立て」と採点」、『JA: The Japan Architect』、10号、1993年、12頁。

    22. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、135-136頁。

    23. 「磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年8月17日」、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、2017年10月1日公開。ここで磯崎は「都市からの撤退」というフレーズを自分では用いていないことを認めている。

    24. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、2頁。

    25. 磯崎新「さらに二〇年後のいま──岩波人文書セレクションに寄せて」、磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、239頁。

    26. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、4-5頁。これに対して、1980年代に自己形成した世代は「「終焉【ルビ:エンド】」の世代」だと言う。

    27. 磯崎新『ポスト・モダン原論』、朝日出版社、1985年、172頁。

    28. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、7頁。

    29. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、9頁。

    30. 磯崎『《建築》という形式I』、6頁。

    31. 磯崎『《建築》という形式I』、7-8頁。

    32. 磯崎『《建築》という形式I』、11-12頁。

    33. 磯崎『《建築》という形式I』、15頁。

    34. 磯崎『《建築》という形式I』、72頁。

    35. 磯崎『《建築》という形式I』、146頁。

    36. 磯崎『《建築》という形式I』、185頁。

    37. 磯崎『《建築》という形式I』、267頁。

    38. 磯崎『《建築》という形式I』、221-224頁。

    39. 東浩紀「Socrate non-performatif 『コーラル・ワークス』について」、磯崎新・浅田彰監修『Anywise──知の諸問題をめぐる建築と哲学の対話』、NTT出版、1999年、217-221頁。なお、デリダとアイゼンマンの共著『コーラル・ワークス』については丸山洋志のエッセイがある。丸山洋志「個人的な感想」、磯崎・浅田『Anywise』、222-229頁。アイゼンマンは磯崎との対談でこの共同作業について、たがいが相手を恐れたがゆえに──とくにデリダがまず恐れて身を引いたがゆえに──結果として何も変わらなかった、と語っている──「俺は彼〔デリダ〕とやってると、自分を失うんじゃないかと感じたし、彼もそう思ったに違いない。それが俺たちの共同の最重要点だった。言説の枠組がその内容からはずれてしまうと感じたんだろう。彼はその枠組を固く守ろうとしているからね」。ピーター・アイゼンマン、磯崎新「過激さは、中心からの距離!──建築と現代思想」、『へるめす』、14号、1988年、175頁。

    40. 磯崎『《建築》という形式I』、226頁。

    41. 磯崎・多木『世紀末の思想と建築』、176頁。

    42. 磯崎『《建築》という形式I』、226-227頁。

  • 第18章

    建築(家)の両性具有(ヘルマフロディトス)的身体

    『群像』2023年6月号、496〜508頁。

     

     1. 磯崎新『建築家捜し』、岩波現代文庫、2005年、2-4頁。

    2. 磯崎『建築家捜し』、5頁。

    3. 磯崎新『磯崎新の建築30[建築模型、版画、ドローイング]』、六耀社、1992年、362頁。

    4. Arata Isozaki. Arata Isozaki: Architecture 1960-1990. New York: Rizzoli, 1991.「磯崎新1960/1990建築展」カタログ、1991年。

    5. 中村敏男「イソザキ・コネクション」、「磯崎新1960/1990建築展」カタログ、56頁。

    6. 中村「イソザキ・コネクション」、59頁。

    7. 磯崎『建築家捜し』、5頁。

    8. 磯崎新「Anyoneへの招待」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone──建築をめぐる思考と討議の場」、1992年、7頁。

    9. 磯崎新・浅田彰「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、79-96頁。

    10. 「討議 A-1」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、99頁。

    11. 『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、220頁。

    12. 「討議 A-3」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、247-248頁。

    13. 磯崎新・浅田彰・田中純「ANYコンファレンスの軌跡」、磯崎新・浅田彰監修『Anyone──建築をめぐる思考と討議の場』、NTT出版、1997年、286頁。

    14. フランチェスコ・ダル・コー「時間を考える」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、134頁。

    15. ダル・コー「時間を考える」、135頁。

    16. 「討議 B-1」、『批評空間』臨時増刊号「Anyone」、155頁。

    17. ピーター・アイゼンマン、磯崎新「過激さは、中心からの距離!──建築と現代思想」、『へるめす』、14号、1988年、172-173頁。磯崎新『磯崎新対談集 建築の政治学』、岩波書店、1989年、76-77頁。

    18. 江幡修「キューブ Cube」、『建築文化』、540号(1991年10月号)、1991年、188頁。

    19. 三宅理一「磯崎新の新たな展開──連載「《建築》という形式」をどう読み解くか」、『建築年鑑 1990』、『JA: The Japan Architect』、2号、1991年、19頁。

    20. 磯崎『建築家捜し』、5頁。

    21. 岡﨑乾二郎「解説──イソザキとは誰か?」、磯崎『建築家捜し』、298頁。

    22. 岡﨑「解説」、299頁。

    23. 磯崎新「現代文庫版あとがき」、磯崎『建築家捜し』、292頁。

    24. 磯崎『建築家捜し』、137頁。

    25. 磯崎『建築家捜し』、136-137頁。

    26. 磯崎『建築家捜し』、137頁。

    27. 磯崎『建築家捜し』、137頁。

    28. 磯崎『建築家捜し』、138頁。

    29. 磯崎『建築家捜し』、196頁。

    30. 磯崎『建築家捜し』、205頁。

    31. 磯崎『建築家捜し』、142頁。

    32. 磯崎『建築家捜し』、259頁。

    33. 磯崎『建築家捜し』、259頁。

    34. 磯崎『建築家捜し』、271頁。

    35. 磯崎『建築家捜し』、229頁。

    36. 三宅「磯崎新の新たな展開」、12頁。なお、三宅はこの部分などを削除したヴァージョンを「虚構のフレームアップ──《建築》という形式」と題して「磯崎新1960/1990建築展」カタログ(28-31頁)に発表している。

    37. 岡﨑「解説」、298頁。

    38. こうした記述形式については次を参照。磯崎新「《建築》──あるいはデミウルゴスの“構築” 第1回」、『GA JAPAN』、創刊号、1992年、20頁。磯崎新『造物主義──デミウルゴモルフィスム』、鹿島出版会、1996年、3頁。雑誌掲載時には「普遍性」だった箇所を書籍化にあたって磯崎は「共軛性」と変えている。

    39. 磯崎「《建築》 第1回」、21頁。磯崎『造物主義』、4頁。

    40. 磯崎『造物主義』、4頁。磯崎「《建築》 第1回」、21頁では「恐ろしい、不思議(アンキャニィ)なもの」となっているが、ここでは書籍版に従う。

    41. 磯崎「《建築》 第1回」、23頁。磯崎『造物主義』、8頁。

  • 第19章

    造物主義論(デミウルゴモルフィスム)の射程

    『群像』2023年7月号、540〜554頁。章タイトルが「造物主議論」となっているのを「造物主義論」に、そのルビが「デミウルゴモフィスム」となっているものを「デミウルゴモルフィスム」と改める。554頁下段の「造物主議論」も「造物主義論」に改める。

     

    1. 磯崎新「《建築》──あるいはデミウルゴスの“構築” 第1回」、『GA JAPAN』、創刊号、1992年、29頁。磯崎新『造物主議論──デミウルゴモルフィスム』、鹿島出版会、1996年、22頁。

    2. 磯崎「《建築》 第1回」、34頁。磯崎『造物主義論』、36頁。

    3. 磯崎「《建築》 第1回」、35頁。磯崎『造物主義論』、40頁。

    4. 磯崎新「《建築》──あるいはデミウルゴスの“構築” 最終回」、『GA JAPAN』、6号、1994年、165頁。磯崎『造物主義論』、208頁。

    5. 磯崎「《建築》 最終回」、164-165頁。磯崎『造物主義論』、206頁。

    6. 磯崎新「《建築》──あるいはデミウルゴスの“構築” 第4回」、『GA JAPAN』、4号、1993年、255頁。磯崎『造物主義論』、103頁。

    7. 磯崎「《建築》 第4回」、255頁。磯崎『造物主義論』、103頁。

    8. 磯崎「《建築》 第1回」、20頁。磯崎『造物主義論』、7頁。

    9. その経緯は磯崎新編著『建築が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年に詳しい。

    10. 磯崎新「Nagi MOCA」、『奈義町現代美術館』、奈義町現代美術館、1994年、4頁。

    11. 磯崎『造物主義論』、243頁。

    12. 二川幸夫編『Gアーキテクト15 〈磯崎新 1991-2000〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、2000年、32頁。

    13. 『GA ドキュメント・エクストラ 05〈磯崎新〉』、1996年、92頁;98頁。

    14. 磯崎「《建築》 最終回」、150頁。磯崎『造物主義論』、171頁。

    15. 磯崎「《建築》 最終回」、154頁。磯崎『造物主義論』、187頁。

    16. 磯崎新「工事現場 CONSTRUCTION SITE」、『JA The Japan Architect』、12号(特集:磯崎新/Construction Site)、1993年、17頁。

    17. 磯崎「《建築》 最終回」、155頁。磯崎『造物主義論』、195頁。

    18. 磯崎は「地霊(ゲニウス・ロキ)」という言葉を使うことを避けている。磯崎は別の場所で「私はいまだ、この国〔日本〕においては定義があいまいで、所在をつまびらかにできていない、この地霊を棚上げにして、日本的な土地神を取り出してみたい」と書いている(磯崎「工事現場 CONSTRUCTION SITE」、15頁)。この場合の「日本的な土地神」とは地鎮祭という神事で鎮められるべき神々であり、すなわちそこには建設行為との「諍い」が予感されている。

    19. 磯崎「《建築》 最終回」、158頁。磯崎『造物主義論』、197頁。

    20. 磯崎「《建築》 最終回」、158頁。磯崎『造物主義論』、197頁;199頁。

    21. 『JA The Japan Architect』、12号(特集:磯崎新/Construction Site)、1993年、117頁。

    22. 磯崎「《建築》 最終回」、165頁。磯崎『造物主義論』、207頁。

    23. 磯崎「《建築》 最終回」、165頁。磯崎『造物主義論』、207頁。

    24. マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』、関口浩訳、平凡社ライブラリー、2008年、75頁。

    25. 「バイブル」という指摘は浜口隆一による。丹下健三・藤森照信『丹下健三』、新建築社、2002年、61頁。

    26. ハイデッガー『芸術作品の根源』、102頁。

    27. ハイデッガー『芸術作品の根源』、60-61頁。

    28. 二川『Gアーキテクト15』、109頁。

    【551頁上段「・・・デミウルゴスの貌であろうか。」の末尾に次の註29を付し、以降、誌面上の註番号を各々+1の数字に修正する。】

    29. 磯崎はこの建物の二つの対照的な壁面をいずれも「仮面」と呼び、「この建築的身体は二つの仮面にはさまれて、アクシデンタルに生成される」と述べている。そこには「胎児が発生していく際の形態の異様さ」との類似がある。磯崎新・浅田彰「デミウルゴモルフィズムの輪郭」、磯崎新・浅田彰監修『Anybody──建築的身体の諸問題』、NTT出版、1999年、43頁。

    30. 磯崎新「造物主議論 〈建築〉——あるいはデミウルゴスの“構築” 見取り図(一)」、『現代思想』、2019年4月号、2019年、229頁。

    31. 磯崎「《建築》 第4回」、255頁。磯崎『造物主義論』、103頁。

    32. 瀧口修造『寸秒夢』、思潮社、1975年、34頁。

    33. 磯崎『造物主義論』、249頁。

    34. 磯崎『造物主義論』、261-262頁。

    35. 磯崎『造物主義論』、273頁。

    36. 磯崎『造物主義論』、277頁。

    37. 磯崎『造物主義論』、277頁。

    38. 磯崎「《建築》 最終回」、151頁。

    39. 磯崎『造物主義論』、325頁。

    40. 磯崎『造物主義論』、326-327頁。

  • 第20章

    「しま」の美学、あるいは「つくることの悲劇」

    『群像』2023年8月号、574〜589頁。

     

    1. 磯崎新『見立ての手法──日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、327頁。

    2. 磯崎新『始源のもどき(ジャパネスキゼーション)』、鹿島出版会、1996年、81頁。なお、同書、104-105頁も参照。

    3. 磯崎『始源のもどき』、55頁。

    4. 磯崎『始源のもどき』、57頁。

    5. 磯崎『始源のもどき』、59頁。

    6. 丸山眞男「思想史の方法を模索して──一つの回想」(1978年)、丸山眞男『丸山眞男集 第十巻』、岩波書店、1996年、342頁。

    7. 磯崎『始源のもどき』、88頁。

    8. 磯崎『始源のもどき』、102頁。

    9. 磯崎『始源のもどき』、49頁。

    10. 磯崎『始源のもどき』、105頁。

    11. 磯崎『始源のもどき』、106頁。

    12. Arata Isozaki. “Yoidorebune.” Arata Isozaki, Tadao Ando and Terunobu Fujimori. The Contemporary Tea House: Japan’s Top Architects Redefine a Tradition. Kodansha International, 2007, 44.

    13. 磯崎新・土居義岳『対論 建築と時間』、岩波書店、2001年、155頁。

    14. 磯崎・土居『対論 建築と時間』、150-151頁。

    15. 磯崎新「茶室とは何か。」、磯崎新・藤森照信『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』、六耀社、2015年、411頁。

    16. 磯崎『始源のもどき』、108頁。

    17. 磯崎新『イメージゲーム──異文化との遭遇』、鹿島出版会、1990年、202-203頁。

    18. 次における浅田の「付記:橋と(しての)カルトゥーシュ」を参照。磯崎新・浅田彰「海市島」、磯崎新・浅田彰監修『Anywise──知の諸問題』、NTT出版、1999年、21頁。磯崎による『ユートピア』の「創造的誤読」である。

    19. 磯崎・浅田「海市島」、20頁。

    20. これらの審査講評については次を参照。磯崎新「三つの審査講評と一つの審査批評」、磯崎新『造物主義論』、279-306頁。

    21. 社団法人・日本建築学会編『『坂本龍馬記念館』構想設計競技記録 1987.11→1988.9』、龍馬生誕150年記念事業実行委員会、1988年。

    22. 磯崎新『造物主議論(デミウルゴモルフィスム)』、鹿島出版会、1996年、289-294頁。

    23. 篠原一男「不当なデマゴーグ・“シンボリズム”」、『GA JAPAN』、14号、1995年、11頁。

    24. 磯崎『造物主議論』、284-285頁。

    25. 磯崎『造物主議論』、287頁。

    26. 磯崎新「依頼状より」、「新たな居住環境への挑戦──岐阜県営北方プロジェクト」、『SD』、1997年8月号、1997年、93頁。

    27. 村田陽平「岐阜県営住宅「ハイタウン北方・南ブロック」にみる空間とジェンダー」、『地理学評論』、77巻7号、2004年、478頁。

    28. 磯崎におけるこうしたパートナーシップの重要性は松井茂が指摘している。松井茂「境界線を引く場所──磯崎新のパートナーシップ」、『現代思想』、2023年3月号、2023年、315頁。

    29. Arata Isozaki. “From Superficial Sign to Material Form.” Sensing the Future: The Architect As Seismograph. 6th International Architecture Exhibition. La Biennale di Venezia. Venezia: Electa, 1996, n.p.

    30. 石山修武・二川幸夫「日本館展示作家の石山修武氏に聞く」、『GA JAPAN』、23号、1996年、21頁。

    31. 磯崎新・二川幸夫「日本館を演出した磯崎新氏に聞く」、『GA JAPAN』、23号、1996年、25-26頁。

    32. 磯崎・二川「日本館を演出した磯崎新氏に聞く」、27頁。

    33. 磯崎新「岡山西警察署」、二川幸夫編『Gアーキテクト15 〈磯崎新 1991-2000〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、2000年、120頁。

    34. 磯崎新「輪郭線消去と2分法」、『新建築』、1997年4月号、1997年、108頁。

    35. 磯崎新「秋吉台国際芸術家村」、二川『Gアーキテクト15』、203頁。

    36. 次における長木誠司の発言より。ヘルムート・ラッヘンマン、磯崎新、浅田彰、長木誠司「ルイジ・ノーノと《プロメテオ》」、『InterCommunication』、27号、1999年、135頁。

    37. 磯崎新「《パノプティコン》から《アーキペラゴ》へ」、『GA DOCUMENT』、57号、1999年、55-57頁。

    38. 磯崎新・原広司・石山修武「建築の近代と現代の表現」、『建築雑誌』、114巻1442号、1999年、15頁。

    39. 川口衞「新しい免震手法「並進振り子」」、『新建築』、2002年11月号、2002年、78-79頁。

    40. 磯崎新「セラミックパークMINO」、二川『Gアーキテクト15』、240頁。

    41. 磯崎新「県立ぐんま天文台」、二川『Gアーキテクト15』、229頁。

    42. 磯崎新「身体的──リアルとハイパー」、『新建築』、1999年2月号、1999年、115-116頁。

    43. 磯崎「身体的」、116頁。

    44. 磯崎新・浅田彰「物の小系譜学」、『Anything──建築と物質/ものをめぐる諸問題』、NTT出版、2007年、144頁。

  • 第21章

    「日本なき日本(しま)」への垂直的下降

    『群像』2023年9月号、590〜606頁。

     

    1. 磯崎新監修・田中純編『磯崎新の革命遊戯』、TOTO出版、1996年、9頁。

    2. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、9頁。

    3. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、226頁。

    4. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、40頁。

    5. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、189頁。

    6. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、40頁。

    7. 田中純「もうひとつの帝国主義」磯崎新監修『海市──もうひとつのユートピア』、NTT出版、1998年、277-278頁。田中純「自然生成性というイデオロギー、民主主義のリミット」、磯崎『海市』、283-284頁。磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、228-231頁。

    8. 磯崎『制作の現場』、219頁。

    9. こうした解釈の例として次を参照。青木淳「現在という時間だけがあるということ」、磯崎新『UNBUILT/反建築史 反建築史』、TOTO出版、2001年、191-192頁。

    10. 田中純「国生み神話の陰に」、磯崎『海市』、321頁。

    11. 田中「国生み神話の陰に」、322頁。

    12. 田中「国生み神話の陰に」、322頁。

    13. 磯崎『海市』、347頁;350頁。

    14. 1996年に続く4年ぶりの開催であり、マッシミリアーノ・フクサスによる総合テーマは「美学ではなく倫理を」であった。

    15. 磯崎『制作の現場』、221頁。

    16. ただし、展覧会カタログにおける英語名称はTranscendental Architecture: A Project for World Peace(超越的建築──世界平和のプロジェクト)である。Città : Less Aesthetics More Ethics. 7th International Architecture Exhibition. La Biennale di Venezia. Venezia: Marsilio, 2000, 218.

    17. 磯崎新・福田和也『空間の行間』、筑摩書房、2004年、341頁。磯崎によれば、マヘーシュはバックミンスター・フラーと宇宙論をめぐって論戦しており、近代科学を背景にしながら、それを超越的なレヴェルに引き上げようとする点でフラーと共通しているという。

    18. Città : Less Aesthetics More Ethics, 220.  磯崎新・土居義岳『対論 建築と時間』、岩波書店、2001年、119頁。

    19. 展覧会カタログではTranscendental Cityだが、磯崎はTrance Cityとしている。Città : Less Aesthetics More Ethics, 220. 磯崎・土居『対論 建築と時間』、119頁。

    20. 磯崎・土居『対論 建築と時間』、117頁。Città : Less Aesthetics More Ethics, 218.

    21. Città : Less Aesthetics More Ethics, 219.  磯崎・土居『対論 建築と時間』、117頁。

    22. 磯崎自身はその点について、北京原人の研究でも知られるピエール・テイヤール・ド・シャルダン神父の『現象としての人間』を1950年代の初めに読み、そのキリスト教的宇宙進化論から強く影響されたことを述懐している(磯崎『反建築史』、210-211頁)。磯崎はそこに、100万年後に到達する「オメガ点」では地球上のあらゆる意識がひとつに収斂して宇宙意識になるという思想を読み取り、アーサー・C・クラークのSF小説『地球幼年期の終わり』とも関連づけている。

    23. 磯崎・土居『対論 建築と時間』、118頁。Città : Less Aesthetics More Ethics, 219.

    24. 磯崎『反建築史』、236頁。ヴェネツィア・ビエンナーレでは、建築の起源を暗示する被膜状のキューブが展示されている。

    25. 「ヴェネチア建築ビエンナーレ日本館」公式サイトより。https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/wp/wp-content/uploads/2021/04/c19c76d65e70a6a89a1c028b40c88de0.pdf

    26. Città : Less Aesthetics More Ethics, 106.

    27. 磯崎新「システムが自走した」、『日本の夏1960-64』、水戸芸術館現代美術センター、1997年、17頁。

    28. 磯崎新『建築における「日本的なもの」』、新潮社、2003年、223頁。

    29. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、245-246頁。

    30. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、221頁。

    31. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、225-226頁。

    32. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、226頁。

    33. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、227頁。

    34. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、236頁。

    35. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、27頁。

    36. 磯崎新「建物が残った──大分県立大分図書館をめぐる言説」、磯崎新編著『建物が残った──近代建築の保存と転生』、岩波書店、1998年、54頁。

    37. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、58頁。

    38. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、67-68頁。

    39. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、69-71頁。

    40. 坂口安吾「日本文化私観」、坂口安吾『日本文化私観──坂口安吾エッセイ集』、講談社文芸文庫、1996年、100頁。

    41. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、118頁。

    42. 坂口「日本文化私観」、128頁。

    43. 小林秀雄「無常という事」、新潮文庫、1961年、85頁。

    44. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、122頁。

    45. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、123頁。磯崎はフレドリック・ジェイムソンによる本書の書評「茶匠たちが作り上げたもの」(鈴木圭介訳、『新潮』、2010年9月号、204-215頁)に対する応答「〈やつし〉と〈もどき〉」(『新潮』、2010年10月号、212-225頁)で、「退行」を「やつし」、「擬態」を「もどき」と言い換え、『建築における「日本的なもの」』執筆時にはこうした日本の古語の用法を踏まえていた、と述べている(同、217頁)。これは同書英訳で「退行」がFall、「擬態」がMimicryと訳されたことからくるニュアンスの差を古語に立ち返って説明するためだった。

    46. 磯崎『制作の現場』、246頁。

    47. 磯崎『制作の現場』、245頁。

    48. 磯崎『制作の現場』、244頁。

    49. この経緯については次を参照。磯崎『制作の現場』、243-267頁。より詳しくは次を参照。磯崎新「極薄の閾のうえを──ウフィツィ問題(1)〜(6)」、『新潮』、2007年2月号、268-277頁;3月号、316-325頁;4月号、266-275頁;5月号、244-253頁;6月号、202-209頁;8月号、272-282頁。

    50. Arata Isozaki. Japan-ness in Architecture. Trans. by Sabu Kohso. The MIT Press: Cambridge, Mass. / London, 2006.「建築における「日本的なもの」」が第一章である点は共通しているが、それ以降は日本語版はカツラ、重源、イセと時代を遡行するのに対して、英語版は逆の順序となっており、イセ論は「始源(オリジン)のもどき(ミミクリー)──天武天皇の伊勢神宮」、重源論は「浄土(ピュア・ランド)の構築──重源の東大寺再建」、カツラ論は「斜線の戦略──「遠州好み」による桂」といったように、よりわかりやすく改題されている。

    51. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、325頁。

    52. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、330頁。

    53. この点に関連し、「建築と時間」を焦点にした磯崎論としては、磯崎・土居『対論 建築と時間』所収の土居義岳による一連の論考がある。

    54. 磯崎新・鈴木博之・石山修武監修『批評と理論』、INAX出版、2005年、8-9頁。こうした見方を磯崎に教えたのはフランチェスコ・ダル・コーだったという。磯崎・土居『対論 建築と時間』、vii頁。

    55. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、2頁(磯崎新・鈴木博之・石山修武による「前書き」)、および、磯崎・土居『対論 建築と時間』、vii頁。

    56. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、21頁。

    57. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、101-103頁。

    58. 「批評と理論」のシンポジウムでは浅田彰が、少なくとも1970年代以降、「良い場所」など、どこにもない、と指摘している(磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、304-305頁)。時代を遡っても、たとえばブルネレスキが重源と同じく一代限りで、そのテクノ・ニヒリズムがアルベルティによって古典主義へと整序されてしまったことは、磯崎自身が説くところでもある。アドルフ・ロースと近代建築の関係についても同様の指摘ができよう。

    59. そこで取り上げられる建築物は文学との関係からより多様になっており、前例のない異形のデザインを有する「しま」のひとつとして、あらたに安土城が挙げられている。

    60. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、146-147頁。

    61. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、111-112頁;114頁。

    62. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、114頁。

    63. 磯崎・田中『磯崎新の革命遊戯』、115頁。

    64. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、185頁。

    65. 磯崎『建築における「日本的なもの」』、181頁。

    66. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、336頁。2001年4月から9月にかけて、世界中を飛び回っていた磯崎の多忙ぶり(「北京金融街中心区計画国際設計競技」の当選やカタールにおける複数のプロジェクトなど)は、『磯崎新 百二十の見えない都市 事務局通信』(植田実編、綿貫令子発行)に掲載された次のインタヴュー・シリーズから如実にうかがえる──「磯崎新 二〇〇一年四月十七日」(第1号、2001年、7-13頁)、「磯崎新 二〇〇一年五月十八日」(第2号、2001年、10-18頁)、「磯崎新 二〇〇一年六月二十五日」(第3号、2001年、12-22頁)、「磯崎新 二〇〇一年七月二十六日」(第4号、2001年、12-23頁)、「二〇〇一年九月十八日」(第5号、2001年、16-30頁)。このシリーズはその後も次のように間歇的に続き、磯崎の多忙さに変わりはないが、9・11以前の一種の躁状態のような雰囲気は微妙に沈静化したように感じられる──「磯崎新 二〇〇一年十一月二十二日」(第7号、2002年、22-31頁)、「磯崎新 二〇〇二年六月十八日」(第10号、2002年、17-23頁)、「磯崎新 二〇〇二年六月十八日(続き)」(第11号、2002年、18-24頁)、「磯崎新 二〇〇二年十二月二十六日」(第14号、2003年、14-24頁)。

  • 第22章

    千年紀(ミレニアム)、虚実の間(ギャップ)

    『群像』2023年10月号、601〜618頁。617頁下段「亡くなっている」に註67を追加し、以降、註番号はズレる。

     

    1. 浅田彰「われもまたアルカディアに──近代建築の天人五衰」、磯崎新・浅田彰『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』、鹿島出版会、2010年、164頁。

    2. 磯崎新・浅田彰「Anything: Anyコンファレンスが切り開いた地平」、『Any: 建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』、鹿島出版会、2010年、239-240頁。

    3. 磯崎・浅田「Anything: Anyコンファレンスが切り開いた地平」、240頁。

    4. 2004年に磯崎は、1970年以降に友人となった米国の建築家たちについて、「心情的にみんなネオコンを支持してしまっている」と語り、1990年代のAnyコンファレンスのような会議を同じメンバーではできないだろうと述べている。磯崎新・鈴木博之・石山修武監修『批評と理論』、INAX出版、2005年、357頁(磯崎・鈴木・石山による鼎談)。

    5. 浅田「われもまたアルカディアに」、169頁。

    6. 磯崎新「〈間(MA)〉の帰還、20年後」、「間──20年後の帰還」展カタログ、東京藝術大学 大学美術館 協力会、2000年、ページ番号なし。

    7. 磯崎新『反回想I』、A.D.A.EDITA Tokyo、2001年、280頁。

    8. 磯崎『反回想I』、285-286頁。

    9. 磯崎『反回想I』、294頁。

    10. 磯崎『反回想I』、317頁。

    11. 磯崎新『反建築史』、TOTO出版、2001年、220頁。

    12. 岡﨑乾二郎・磯崎新・浅田彰「枠と容積──霊(ひ)とヴォリューム」、磯崎『反建築史』、105頁。

    13. 岡﨑・磯崎・浅田「枠と容積」、磯崎『反建築史』、121頁。

    14. 岡﨑・磯崎・浅田「枠と容積」、磯崎『反建築史』、112頁。

    15. 磯崎新「流言都市(ルーマー・シティ)」、磯崎『反建築史』、6-24頁。

    16. 磯崎「流言都市」、23頁。

    17. 磯崎「流言都市」、24頁。

    18. 磯崎「流言都市」、23頁。

    19. 磯崎「浮揚都市──二〇〇一年十二月」、『磯崎新版画展 宮脇愛子展』図録、中津万象園・丸亀美術館、2009年、14頁。

    20. 植田実「隠されたテクストの介在」、『磯崎新版画展 宮脇愛子展』図録、13頁。

    21. 磯崎自身がその点を回顧した2006年の講演を参照。磯崎新・安藤忠雄・藤森照信・伊東豊雄『住宅の射程』、TOTO出版、2006年、8-47頁。

    22. 磯崎・安藤・藤森・伊東『住宅の射程』、25頁。

    23. 磯崎新『栖十二』、住まいの図書館出版局、1999年、250頁。

    24. 磯崎『栖十二』、栞、5頁。

    25. 磯崎『栖十二』、栞、44頁。

    26. 磯崎『栖十二』、255頁。

    27. 磯崎『栖十二』、245頁。

    28. 磯崎『栖十二』、248頁。

    29. 磯崎『栖十二』、234頁。

    30. 磯崎新アトリエ「OBSCURED HORIZON」、『GA JAPAN 89』、2007年、91-93頁。

    31. 磯崎新『磯崎新的放談@中韓日』、『新建築』2008年11月別冊、2008年、147-148頁。なお、類似した樹木のモチーフは、バルセロナのラ・カイシャ財団文化センター新ゲート〔二〇〇二〕地上入り口に作られた、ガラス板の天蓋(キャノピー)を耐候性(コールテン)鋼製の支柱が支える「鉄樹」にも見られる。コルドバ産ライムストーンの壁と床板による沈下園(サンクン・ガーデン)をなすこの新ゲートのパティオは、隣接する道路の反対側に建つミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオン(1986年に復元)が基壇を有する空間構成であるのと、あたかも凹凸を反転させたような照応関係にある。新ゲートの一郭に設けられた、周囲がほぼ壁で閉ざされ、床に薄く水の張られている細長い矩形のオープン・スペース「秘密の庭園」はとくに、バルセロナ・パヴィリオンのプールを思わせる空間であり、この新ゲートがミースに対する磯崎のオマージュであることを明かしている。

    32. 磯崎新「中国《国家大劇院》設計競技」、二川幸夫編『Gアーキテクト15 〈磯崎新 1991-2000〉』、A.D.A. EDITA Tokyo、2000年、253-254頁。

    33. 佐々木睦朗『構造・構築・建築 佐々木睦朗の構造ヴィジョン』、LIXIL出版、2017年、100頁。

    34. 佐々木『構造・構築・建築』、101頁。

    35. 佐々木『構造・構築・建築』、102頁。

    36. 佐々木睦朗『フラックス・ストラクチャー』、TOTO出版、2005年、70頁。

    37. 磯崎新「新しいソフトとともに建ち上がる建築の型──海外の最新3作品をめぐって」、『GA JAPAN 126』、2014年、47頁。

    38. 佐々木『フラックス・ストラクチャー』、82頁。

    39. 佐々木『構造・構築・建築』、92頁。

    40. 佐々木『構造・構築・建築』、95頁。

    41. 磯崎新『気になるガウディ』、新潮社、2012年、121頁。

    42. 磯崎『気になるガウディ』、123頁。

    43. 磯崎『気になるガウディ』、47-48頁。

    44. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、176頁。

    45. たとえば、大西若人「磯崎新さんが60年代に提案 夢の建築、なぜ今実現」、朝日新聞、2002年8月13日付朝刊、21頁。

    46. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、155頁;177-178頁。2002年に磯崎は、「代理表象」を20世紀(まで)の近代的なシステムと見なし、21世紀には何が起こるかわからないからこそ、無謀と思えるような「これまで存在せず、手がかりもないようなイメージ」──磯崎はそれを《虚体》と呼ぶ──を組み立てるプロジェクトの必要性を説いている──「誰もが奇妙に感じる、見たこともないものがいい。出来上がる期間も問わない。だから無謀であり《虚体》としか呼べないが、それが出現する可能性にこそ賭けてみる」(磯崎新「建築と近代と」、『西日本新聞』、2002年12月16日付朝刊、2面)。ピラミッドという「イコン」こそはそんな《虚体》の原型であり、それに匹敵するような「けたはずれの発想」と「幻視されたアイデア力」が求められるのである。

    47. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、155頁。

    48. 磯崎新「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチュア または、あらためて「造物主義」」、磯崎・浅田『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』、6-8頁

    49. フレドリック・ジェイムソン「茶匠たちが作り上げたもの──磯崎新『建築における「日本的なもの」』をめぐって」、鈴木圭介訳、『新潮』、2010年9月号、2010年、206頁。

    50. Leslie Sklair. The Icon Project: Architecture, Cities, and Capitalist Globalization. New York and Oxford: Oxford University Press, 2017.

    51. Sklair 2017, 122-123.

    52. 磯崎「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチュア または、あらためて「造物主義」」、9頁。

    53. ブリュノ・ラトゥール「聖像衝突」、ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について──ならびに「聖像衝突」』、荒金直人訳、以文社、2017年、149-219頁。

    54. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、369頁。このパトロンとの親密な関係性は『磯崎新 百二十の見えない都市 事務局通信』(植田実編、綿貫令子発行、2001-2003年)に掲載されたインタヴュー・シリーズでたびたび語られている。磯崎は1970〜80年代の丹下を「オイルマネーの建築家」と呼ぶが、こうした首長(エミール)一族との関係だけを見れば、この時期の磯崎もまた同様だろう(カタールは小国ながら世界有数の石油埋蔵量を誇り、天然ガスについては世界第三位である)。

    55. このプロジェクトの直接のクライアントであり、磯崎を首長(エミール)に紹介したカタールの文化庁長官シェイク・サウド・アル=サーニが2005年に公金不正使用の疑いで失脚しており、その影響と思われる。磯崎・浅田「Anything: Anyコンファレンスが切り開いた地平」、246-247頁。磯崎はこの失脚について、「政敵をつくり、スキャンダルに巻き込まれた」と述べている。シェイク・サウドは2014年11月に──磯崎によれば亡命先の──ロンドンで客死している。磯崎新『瓦礫(デブリ)の未来』、青土社、2019年、15-16頁。

     他方、王妃(首長(エミール)夫人)が担当するカタール・エデュケーション・シティは着実に進行し、磯崎の国立コンベンションセンターやセレモニアル・ホールのほか、渡辺真理と木下庸子によるコーネル大学医学部カタール校(2003)や小嶋一浩と赤松佳珠子によるブリッジ・アーツ&サイエンス・カレッジ(2004)が建造された。なお、このキャンパス・プランで磯崎は「磯崎新アトリエ」ではなく、「磯崎新&i-NET」という組織名を用いている。磯崎によれば、これは「アーティストのスタジオ・モデル」である「アトリエ」に対して、単発でプロジェクト・チームが組まれる映画プロダクション・モデルに近いオープン・システムであり、一種の「ネット派」の組織形態であるという。「磯崎新 二〇〇一年七月二十六日」、『磯崎新 百二十の見えない都市 事務局通信』、植田実編、綿貫令子発行、2001年、16-17頁。磯崎はそこで二〜三年で現在の事務所をいったん解体する構想を語っているが、実際にはi-NET名義のプロジェクトはごく限られ、磯崎新アトリエはその後も存続した。

    56. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、146頁。

    57. 中央アジア大学のサイトより。

    58. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、182-183頁;磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、370頁。

    59. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、371頁。

    60. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、183頁。

    61. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、372頁。

    62. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、183頁。

    63. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、153頁。

    64. 磯崎『磯崎新的放談@中韓日』、179頁。

    65. 磯崎・鈴木・石山『批評と理論』、372頁

    66. 磯崎「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチュア または、あらためて「造物主義」」、18頁。

    67. 磯崎は1999年の「20世紀を決めた建築」をめぐる原広司、石山修武との鼎談で、建築作品よりも建築家から受けた影響のほうが大きいと語り、大学を出てから15年くらいは丹下健三から何を学べるかを考え、その後の15年間は「悪い意味で」フィリップ・ジョンソンと付き合って、その考え方ややり方を「どう抜けるか」を思っていた、と語っている。そのように30年ほどかけてようやく、自分でものを考え始めたのだという。丹下を通じては日本と建築という問題、ジョンソンを通じては建築の歴史という問題がそこで課題として残った(磯崎新・原広司・石山修武「建築の近代と現代の表現」、『建築雑誌』、114巻1442号、1999年、7頁)。「大学を出てから15年」とはおよそ1955〜70年と思われるため、磯崎がジョンソンの影響下から抜け出たのは1985年頃ということになる。

    68. 磯崎新『挽歌集──建築があった時代へ』、白水社、2014年、154-158頁。

    69. 磯崎『挽歌集』、143頁。

    70. 磯崎『挽歌集』、145-146頁。

    71. 磯崎『挽歌集』、148頁。

    72. 磯崎『挽歌集』、149-150頁。

  • 第23章

    「進むべき道はない、だが進まねばならない」

    『群像』2023年11月号、224〜239頁。

     

    1. 磯崎新「『建造物宣言』の宮内康」、『怨恨のユートピア』刊行委員会編『怨恨のユートピア──宮内康のいる場所』、れんが書房新社、2000年、12頁。

    2. 宮内康『怨恨のユートピア』、井上書院、1971年、6頁。

    3. 宮内康『風景を撃て』、相模書房、1976年、232頁。

    4. 磯崎新「ユートピアに翻弄された戦後日本」附記、磯崎新『ユートピアはどこへ──社会的制度としての建築家 磯崎新建築論集6』、岩波書店、2013年、133頁。さらにのち、磯崎は中国の成都郊外に建設された新世紀環球中心、および、ニューヨークWTCのツインタワーが宮内のイメージした「建造物」だったのではないかと──「この判断に宮内が同意するとは思えないが」と留保を付けたうえで──書いている(磯崎新『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、青土社、2019年、157頁)。そこで吐露されているように、「建造物」に磯崎が見ているのはあくまで、「巨大数【ルビ:グレーター・ナンバー】がうみだすおぞましき崇高性」なのである。

    5. 磯崎「『建造物宣言』の宮内康」、14頁。

    6. 磯崎「『建造物宣言』の宮内康」、14頁。

    7. ヴァルター・ベンヤミン「パリ──一九世紀の首都〔ドイツ語草稿〕」、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論(一)』、今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波文庫、2020年、52-53頁。

    8. 宮内『怨恨のユートピア』、214頁。

    9. ベンヤミン「パリ──一九世紀の首都〔ドイツ語草稿〕」、39頁。

    10. 磯崎新「フーリエの「ファランステール」(アソシエーショニズム)」、磯崎『磯崎新建築論集6』、37頁。

    11. 磯崎新「発起」、二川由夫編『GA DOCUMENT 77 Arata Isozaki』、A.D.A. EDITA Tokyo、2004年、10頁。

    12. 磯崎「発起」、25-26頁。

    13. 磯崎「発起」、26頁。

    14. 磯崎「発起」、26頁。

    15. 磯崎新・岡﨑乾二郎・浅田彰「漢字と建築──ヴェネツィア・ビエンナーレ第八回建築展をめぐって」、磯崎新・岡﨑乾二郎監修『漢字と建築』、INAX出版、2003年、3頁。

    16. 張永和や承孝相は岐阜県営北方住宅・北ブロック(磯崎アトリエが全体調整を担当)の設計にあたった総勢21名の建築家たちの一員である。この北ブロックで建築家たちは、メガ・フレームによって与えられる空中の領域に自分たちの設計した住戸を嵌め込んでゆき、結果として建物全体がパッチワーク状になることが目論まれた。

    17. 岡﨑乾二郎「漢字文化圏における建築言語の生成」、磯崎・岡﨑『漢字と建築』、46頁。

    18. 磯崎・岡﨑・浅田「漢字と建築」、28-29頁。

    19. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(一)」、『新潮』、2006年1月号、2006年、329頁。

    20. 磯崎「極薄の閾のうえを──漢字考(一)」、330頁。

    21. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(三)」、『新潮』、2006年3月号、2006年、187頁。

    22. これは19世紀が19世紀らしくなるのはだいたい1830年頃、20世紀が20世紀らしくなるのは1915年頃といったように、各世紀初頭の人間が想像しなかったことが起きるまでのタイム・スパンが短くなっていることをもとに、21世紀では2007年か2008年頃にあらたな何かが萌芽的に現われるのではないか、という蓮實重彦の指摘にもとづいている。磯崎新・蓮實重彦「〈対話〉二〇〇七年──都市と建築」、『季刊都市II』、河出書房新社、1989年、38頁。

    23. 磯崎「極薄の閾のうえを──漢字考(三)」、189頁。

    24. のちに磯崎はこれをアクロポリス体験と結びつけて別様に回想している──「青空をみあげて、正方形に切り抜こうと考えた。あのとき、青空の裏面にはりついていたのは、暗黒の宇宙だったのではないか。半世紀を過ぎて、私はときに正方形が闇を切りだしたのではなかったかという不安に襲われる。アクロポリスの丘のうえには壊れた大理石が散乱していた」。磯崎新「反回想4 〈建築〉という基体(著者解題)」、磯崎新『〈建築〉という基体──デミウルゴモルフィスム 磯崎新建築論集4』、岩波書店、2013年、xi頁。

    25. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(七)」、『新潮』、2006年7月号、2006年、267頁。

    26. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(八)」、『新潮』、2006年8月号、2006年、235頁。

    27. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(六)」、『新潮』、2006年6月号、2006年、234-235頁。

    28. 連載「極薄の閾のうえを」の後半は、2006年末にウフィツィ美術館新ゲートの計画がようやく動き出したことをきっかけに、テーマを「ウフィツィ問題」に変え、この構想をめぐってイタリアで展開されてきた政治的動向を過去に遡って解説することに費やされている。次のテーマ「イスラム的」は、9・11同時多発テロでアルカイダはWTCを(ア)イコンとして選んだという観点から出発した、磯崎流の(ア)イコン建築論を開陳したうえで、グローバリゼーションを「やり過ごす知恵」をイスラム世界に求めようとする方向性が初回に示唆されたのみで、この連載自体が唐突に終えられてしまった。

    29. 磯崎新「オリンピックを博多湾に」、磯崎新『磯崎新的放談@中韓日』、『新建築』2008年11月別冊、2008年、6-8頁。福岡オリンピック制作総指揮室・磯崎新ほか「21世紀型オリンピックのための博多湾モデル」、『10+1』、43号、2006年、25-48頁。

    30. 磯崎新「極薄の閾のうえを──漢字考(補3)」、『新潮』、2006年12月号、2006年、298頁。

    31. 磯崎新・石山修武「21世紀の都市・メディア再編とオリンピック」、『10+1』、43号、2006年、47頁。

    32. 磯崎新「極薄の閾のうえを──ウフィツィ問題(1)」、『新潮』、2007年2月号、2006年、269頁。

    33. 建畠晢監修『横浜会議2004「なぜ、国際展か?」』、BankART1929、2005年。

    34. 建畠『横浜会議2004「なぜ、国際展か?」』、112頁。「事故」「戦争」「クレオール」「エイリアン」「ガジェット」「キャラ」六つのコンセプトを立て、「事故」であれば、コンセプチュアライザーはポール・ヴィリリオと浅田彰、展示デザイナーは青木淳、プロダクションは各テレビ局が請け負うといった案である。コンセプトを具現するアイコンは「事故」がブリューゲルの描くイカロス、「戦争」はトマス・ホッブズのリヴァイアサンといった具合である。

    35. 建畠『横浜会議2004「なぜ、国際展か?」』、106頁。

    36. 磯崎新「江南文化、四百年後の再生」、『朝日新聞』、2011年1月9日付朝刊、11頁。

    37. 磯崎『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、150頁

    38. 磯崎『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、155頁

    39. 磯崎『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、52-54頁

    40. 磯崎新「地図にない国、本ではない「本」」、『朝日新聞』、2011年1月23日付朝刊、13頁。

    41. 伊東豊雄・山本理顕「〈対談〉建築家の思想」、『思想』、2011年5月号、2011年、12-14頁。

    42. 磯崎新「建築=都市=国家・合体装置【ルビ:メガ・ストラクチュア】」、『思想』、2011年5月号、50頁。

    43. 磯崎「建築=都市=国家・合体装置【ルビ:メガ・ストラクチュア】」、48頁。

    44. 磯崎「建築=都市=国家・合体装置【ルビ:メガ・ストラクチュア】」、67頁。

    45. 磯崎「建築=都市=国家・合体装置【ルビ:メガ・ストラクチュア】」、66頁。

    46. 磯崎新「建築【ルビ:アーキテクチュア】──不可視【ルビ:インヴィジブル】から不可侵【ルビ:インヴィンシブル】へ」、『atプラス』、8号、2011年、24頁。

    47. 赤軍派の政治局員であり、のちによど号ハイジャック幇助の罪に問われた川島宏に関わるものと思われる。

    48. 磯崎「建築【ルビ:アーキテクチュア】──不可視【ルビ:インヴィジブル】から不可侵【ルビ:インヴィンシブル】へ」、28頁。

    49. 磯崎「建築=都市=国家・合体装置【ルビ:メガ・ストラクチュア】」、68頁。

    50. 磯崎「建築【ルビ:アーキテクチュア】──不可視【ルビ:インヴィジブル】から不可侵【ルビ:インヴィンシブル】へ」、36-37頁。磯崎は「建武式目」と書いているが、これは明らかに「建武の新政」の誤りである。

    51. 磯崎新「ルイジ・ノーノ作曲『進むべき道はない、だが進まねばならない・・・・・・アンドレイ・タルコフスキー』を聴いて下さい」、『現代思想』、2011年7月臨時増刊号、2011年、33頁。

    52. 磯崎新「アーティスト/アーキテクトは災害(事件)をいかに作品化(プロジェクト)するか」、『atプラス』、9号、2011年、23-24頁。

    53. 石山修武「自然──根本のインフラストラクチャー」、『atプラス』、9号、2011年、154頁。

    54. 石山「自然」、155頁。

    55. 磯崎新「STUDIO TALK 21 磯崎新」、『GA JAPAN 119』、2012年、117頁。

    56. 磯崎新『偶有性操縦法【ルビ:コンティンジェンシーマニュアル】──何が新国立競技場問題を迷走させたのか』、青土社、2016年、26頁。

    57. 磯崎『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、8頁;105頁。

    58. 磯崎は数年後に「虚船【ルビ:うつふね】」を論じて、波斯国(ペルシャ)伝来の琴と秘曲をめぐる『宇津保物語』に触れ、主人公・仲忠がそのなかで育ち、母から秘琴の技を伝授される森の木の空洞【ルビ:うつほ】のうちに、音響の振動で満たされた異界への転送装置──「うつぼ船」のイメージ──を見ている。磯崎『瓦礫【ルビ:デブリ】の未来』、85-87頁。

    59. これは「世紀の痕跡と未来への歩み(Traces of Centuries & Future Steps)」と題された企画展の一部である。「中原逐鹿【ルビ:ちゅうげんちくろく】」を展示名とする点は磯崎自身の言及に拠る。磯崎新「都市モデルとしての「中原逐鹿」展と「都市ソラリス」展」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、324-329頁。ただし、「世紀の痕跡と未来への歩み」展カタログ(英文)ではRun after Deer!は「ソーシャル・ネットワーク」のセクション名に留まり、展示全体の名称とはされていない。Traces of Centuries & Future Steps. Palazzo Bembo. Biennale architettura 2012. Leiden: GlobalArtAffairs Foundation, 2012.

    60. 磯崎新「都市モデルとしての「中原逐鹿」展と「都市ソラリス」展」、324-329頁。

    61. 磯崎『偶有性操縦法』、7頁。

    62. 磯崎『偶有性操縦法』、72頁。

    63. 磯崎『偶有性操縦法』、7頁。

    64. 大西若人・二川由夫「[対談]第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展について」、『GA JAPAN 119』、2012年、50頁。

  • 第24章

    デミウルゴスの巫(かんなぎ)

    『群像』2023年12月号、267〜283頁。

     

    1. 「都市ソラリス」展概要より。https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2013/isozaki-arata-solaris/

    2. 磯崎新「都市の類型」、磯崎新『記号の海に浮かぶ〈しま〉——見えない都市 磯崎新建築論集2』、岩波書店、2013年、245頁。

    3. 沼野充義「愛を超えて──訳者解説」、スタニスワフ・レム『ソラリス』、沼野充義訳、ハヤカワ文庫、2015年、405-408頁。

    4. レム『ソラリス』、207頁。

    5. レム『ソラリス』、373頁。

    6. 資料を提供していただいた南後由和氏に感謝する。

    7. 磯崎新「反回想8 制作の現場(著者解題)」、磯崎新『制作の現場──プロジェクトの位相 磯崎新建築論集8』、岩波書店、2015年、ix頁。

    8. 磯崎新「あとがき」、磯崎『磯崎新建築論集8』、333頁。

    9. 磯崎新「あとがき」、磯崎『磯崎新建築論集8』、334頁。

    10. 石山修武「世田谷村スタジオGAYA日記 455」、2015年7月13日。http://setagaya-mura.net/jp/top6.html 一部が文字データで投稿されているが、引用は手書き原稿の画像による。

    11. 磯崎新「あとがき」、磯崎『磯崎新建築論集8』、333頁。

    12. それは磯崎と鈴木の緊張感漲る対談『二〇世紀の現代建築を検証する』を磯崎自身の言説について行なうような作業になっただろう。磯崎はこの対談を二川幸夫が仕掛けた「異種格闘技」と呼んでいる。磯崎新・鈴木博之『二〇世紀の現代建築を検証する』、二川幸夫編、エーディーエー・エディタ・トーキョー、2013年、322頁。

    13. 磯崎新「反回想 二〇一〇(〜二〇一五)」、磯崎『磯崎新建築論集8』、303頁

    14. 磯崎新「反回想 二〇一〇(〜二〇一五)」、磯崎『磯崎新建築論集8』、306頁。

    15. ワタリウムの展覧会サイトより。http://www.watarium.co.jp/exhibition/1408isozaki/index2.html

    16. ワタリウムの展覧会サイトでは「「建築外」極私的空間」と題されていた磯崎による趣旨説明は、『磯崎新建築論集8』に収められるにあたり、「外的思考〈アーキテクチュア〉としての「文」」と改名されている。磯崎『磯崎新建築論集8』、304頁。

    17. 磯崎新『偶有性操縦法(コンティンジェンシーマニュアル)──何が新国立競技場問題を迷走させたのか』、青土社、2016年、、178-179頁。

    18. 磯崎新・安藤礼二「プラットフォーム2020──祝祭都市構想」、『atプラス』、25号、2015年、7頁。

    19. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、23頁。

    20. 磯崎・安藤「プラットフォーム2020」、38頁。

    21. 磯崎『偶有性操縦法』、209頁。これらの文書をまとめた著書の書名「偶有性操縦法(コンティンジェンシーマニュアル)」の「操縦法(マニュアル)」には、バックミンスター・フラーの『宇宙船地球号操縦マニュアル』への目配せがあろう。

    22. 磯崎『偶有性操縦法』、89頁。

    23. 磯崎『偶有性操縦法』、190頁。

    24. 磯崎『偶有性操縦法』、192頁。

    25. 磯崎『偶有性操縦法』、193頁。

    26. 磯崎『偶有性操縦法』、203頁。

    27. 磯崎『偶有性操縦法』、206頁。

    28. 書籍化された『偶有性操縦法』に掲載の地図ではその経路が具体的に示されている。磯崎『偶有性操縦法』、210-211頁。

    29. 磯崎『偶有性操縦法』、209頁。

    30. 磯崎『偶有性操縦法』、207頁。

    31. 磯崎新『瓦礫(デブリ)の未来』、青土社、2019年、14頁。

    32. 磯崎『瓦礫の未来』、15頁。

    33. 磯崎『瓦礫の未来』、44頁。意味の繋がりを明確にするため句点を補った。

    34. 磯崎『瓦礫の未来』、45頁。

    35. 磯崎『瓦礫の未来』、10頁。

    36. 磯崎『瓦礫の未来』、9頁。

    37. 磯崎『瓦礫の未来』、10頁。

    38. 磯崎『瓦礫の未来』、204-205頁。

    39. 2018年に東京藝術大学で磯崎は「建築家・金正日──アークテクチュア論」という公開講義を行なっている。http://geidai-ram.jp/prog-ram/openlecture/1625/

    40. 磯崎『瓦礫の未来』、215頁。

    41. 磯崎『瓦礫の未来』、239頁。

    42. 磯崎『偶有性操縦法』、37

    43. 田中純「解説 磯崎新という謎──憑依・寄生するデミウルゴス」、磯崎新『デミウルゴス──途上の建築(アーキテクチュア)』、青土社、2023年、203-220頁。

    44. 磯崎『デミウルゴス』、22頁。

    45. 磯崎『デミウルゴス』、154頁。

    46. 磯崎『デミウルゴス』、154頁。

    47. 田中純「デミウルゴスのかたり──磯崎新の土星(サトゥルヌス)的仮面劇」、『現代思想』、2020年3月臨時増刊号「総特集・磯崎新」、2020年、176頁。

    48. 磯崎『デミウルゴス』、110頁。

    49. 乾武俊『黒い翁──民間仮面のフォークロア』、解放出版社、1999年、138頁。

    50. 田中「デミウルゴスのかたり」、177頁。

    51. 『[磯崎新の謎]展〈いき〉篇+〈しま〉篇』ブックレット、大分市美術館、2019年、および、『現代思想』、2020年3月臨時増刊号「総特集・磯崎新」、371〜402頁。

    52. 菅章『ネオ・ダダの逆説──反芸術と芸術』、みすず書房、2022年、299-318頁。

    53. 磯崎新『挽歌集──建築があった時代へ』、白水社、2014年、49頁。

    54. 『[磯崎新の謎]展〈いき〉篇+〈しま〉篇』ブックレット、表見返し。『現代思想』、2020年3月臨時増刊号「総特集・磯崎新」、372頁。

    55. 磯崎『デミウルゴス』、165頁。

    56. レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』、鈴木圭介訳、ちくま学芸文庫、1999年、46頁。

    57. 磯崎『瓦礫の未来』、75頁。

    58. 磯崎新「謝辞」、『現代思想』、2020年3月臨時増刊号「総特集・磯崎新」、100-103頁。

    59. 磯崎新・浅田彰「暴走するアーキテクトの現場──「アイロニーの終焉」から三四年」、『現代思想』、2020年3月臨時増刊号「総特集・磯崎新」、8-30頁。

    60. 田中純「見えない建築へ──追悼 磯崎新」、『群像』、2023年3月号、2023年、290-294頁。

    61. これは磯崎の発句に始まる杉本との「連歌もどき」ののち、磯崎がその短歌を俳句に仕立て直したもののひとつである。全体は「江之浦測候所」と題され、句は四句、追の狂句一句からなる。一連の経緯と内容については浅田彰の解説を含む次を参照。有時庵(磯崎新)・呆気羅漢(杉本博司)「江之浦連歌」、REALKYOTO。https://realkyoto.jp/article/enourarenga/

    62. 磯崎新『栖十二』、住まいの図書館出版局、1999年、28頁。

  • 特報

    「東京大学教養学部美術博物館」改造計画案をめぐって

    『群像』2023年7月号、555〜556頁。

    修正:556頁上段3行目「実際には窓のない壁面に大きく開口部を設け」→「壁面に大きな開口部をひとつだけ設け」

     

    A. http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53136953.html